広島・新井 コネ入団から努力の2000本
阪神の晩年は、ゴメスに一塁の定位置を奪われ、事実上の戦力外となった。それでも、生涯広島を誓っていたチームからFAで飛び込んできてくれた功労者である。チームは年俸は下がるが解雇方針はなく、新井の好きなようにさせたいと考えていた。新井が選んだのは退団だった。 その際、阪神のフロントにこんな心境を口にしている。「ほんとうならライバルであるゴメスが打席に立つと打つな!と願わねばならないのに、応援している自分がいる。それではプロとしては駄目になる。阪神にとってもプラスにならない。どこのチームにもアテはないが、自由契約にして下さい」 「どこかと話があってからでいいんじゃないか」そうたずねても新井は、自由契約を望んだ。 その人柄を悪く言う人は聞いたことがない。愛されるキャラである。 「まさか、あの新井さんが。。。。」そう書かれたTシャツを試合前に全員が着ていた。 「菊(菊池)なんか去年から、あと“32本ですね”とか言う。今年に入っても、毎試合、“あと何本ですね”って。普通、そういうこと言うかなあ」 新井は、そう言って笑った。 だが、ときには、鬼にならねばならない。 それが阪神を出る決断を下した理由である。 そして広島から声がかかる。「あんなチームの出方をした僕が戻っていいものだろうか」 悩める新井の背中を押してくれたのが、男気・黒田博樹だった。 黒田も新井がFAで阪神に移籍した2007年のオフにメジャーへ移籍していた。運命の悪戯か、2人はまた赤いユニホームを着て8年ぶりに再会することになる。 「野球人生の最終章は黒田さんと一緒に」 新井は、そう言った。 技術的には、2005年に43本塁打で本塁打を獲得したが、内角を攻められ、外のボールで揺さぶられると弱いという弱点があった。引っ張ろうとする意識が強すぎるゆえの傾向だった。だが39歳になって、他球団のスコアラーが、「ひきつけてセンターから右への意識が強く、身体の回転を使えるようになったので、内、外の揺さぶりパターンが通じなくなっている」と驚くほどの進化を見せている。 不器用な男は、17年の歳月を積み上げて2000本の金字塔を残した。 神宮球場の駐車場で全選手と共に乾杯した男は、上気した顔でこう言うのだった。 「広島に帰ってきてなければ、なかったでしょう。でも、客観的に(2000本を)見ることはできない。明日も試合がある。大きな目標がある。正直、今は振り返ることはできない。戦いは続くんです」 (文責・駒沢悟/スポーツライター)