あなたは「見せかけの心理的安全性」で部下を困らせていないか
■部下の率直な意見を引き出すにはどうすべきか 「うーん、前に進むためにどうするのがベストなのか、わかりません。みなさんは、どうしたらよいと思いますか」 世界的な金融サービス企業のCEOを務めるジョシュ(*)は、チームのミーティングでそう語りかけた。彼らは苦境に立たされている製品ラインの難題を解決するために話し合っていた。ジョシュは人望が厚く、実に頭が切れる。実際、その賢さから、チームは問題解決を彼一人に頼るようになっていた。ジョシュはそうした状況を変えて、全員がアイデアを提供し、彼のアイデアに反論して、困難な問題への取り組みを共有していると実感してほしかった。 筆者は組織の率直さについて幅広く研究しているため、リーダーたちから、メンバーが自分に対して、より正直になってくれるためにどうすべきかという助言を求められることも少なくない。組織では上に行くほど、受け取る情報や意見が無機質なものになり、人はこびへつらうようになることがよく知られている。異なる意見を歓迎する環境を、どのようにつくればよいのだろうか。 ■心理的安全性は重要だが… 従業員の声という概念は、行動科学の用語で、不正行為や差し迫った窮地などについて自分の考えを話したり、自由にアイデアやフィードバックを提供したりする状況を指す。数十年前からさまざまな研究が行われてきたテーマであり、その多くは、誰かが発言していれば(あるいは発言した人に耳を傾けていれば)、防げたかもしれない恐ろしい惨事の分析に注目している。 1986年のスペースシャトル「チャレンジャー号」や2003年の「コロンビア号」のような大惨事もその例で、いずれの事故も、NASA(米航空宇宙局)の内部で持ち上がっていた既知の問題が無視された結果として起きたものだった。2019年から続いた機械的な問題により、ボーイング737MAXの387機に運行停止処分が下されたのもその一例だ。この新世代機について、有資格のテストパイロットや自社のエンジニアがたびたび警告していたにもかかわらず、乗客乗員が全員死亡した2件の墜落事故が発生するまで会社はそれを無視し続けた。 いずれのケースも、従業員の声が発せられて受け入れられるまでのどこかで行き詰まり、悲劇的な結果を招いた。 従業員がみずから声を上げるかどうかを決断する際は、心理的安全性の有無が重要になる。ハーバード・ビジネス・スクール(HBS)教授のエイミー C. エドモンドソンが提唱したこの概念は、報復を恐れることなく、失敗を認め、厳しいフィードバックを提供し、型破りなアイデアを共有し、困難な状況について真実を語っても安全であると思えることだ。 エドモンドソンの研究のおかげで、心理的安全性はマネジメント用語の主流になった。高いパフォーマンスを発揮するために心理的安全性が重要であることは、よく知られている。そして、その欠如がもたらす結果は、前述の通り、痛ましい歴史として刻まれている。 驚くまでもなく、ほとんどのリーダーは部下に声を上げてほしいと言う。そして多くの人は、ジョシュのように、声を上げようと思える安全性をつくってきたという自負がある。彼らの声を歓迎するために必要な謙虚さ、好奇心、オープンさ、明確な励ましを、自分は提供していると確信しているのだ。 しかし、データを見る限り、道のりはまだ長い。マッキンゼー・アンド・カンパニーの調査によると、チームの心理的安全性をつくり出すために必要なスキルを身につけているリーダーは、26%にすぎないからだ。 ■リーダーは心理的安全性があるかのように見せかける 問題の一つは、あらゆる優れたマネジメントの概念と同じように、見せかけの心理的安全性の増殖を止められないことだ。ほとんどのリーダーは、人々が自分の考えを話すように後押ししたいと思っているが、その根底には(しばしば無意識に)真実を知ることをめぐって相反する感情があり、それが意図せず、見せかけの心理的安全性をつくり出す。 心理的安全性をつくろうという善意ではあるものの、誤っている試みについて、筆者が見てきた例をいくつか挙げよう。いずれも複雑なメッセージを発信して、最終的に心理的安全性を強めるどころか低下させている。 ■他人の考えを受け入れるように見せるため、不確実性を装う 他人の意見を引き出す最善の方法の一つは、自分は知らないと認めることだ。謙虚さは2つの重要なシグナルを送る。一つは、すべてを知らなくてもかまわないということ。もう一つは、他人の助けを必要としていることだ。ジョシュも、自分は最善の方法がわからないとチームに言ったのは、これらを伝えたかったからだ。ただし、問題は彼が嘘をついていたことで、誰もがそれに気づいていた。 実際は、どのように進めればよいかジョシュは詳しく知っており、発言を促すような言葉は作為的で不誠実なものに感じられた。 ジョシュのような賢いリーダーの多くは、常に確実であろうと苦悩している。自分はチームのあらゆる問題や疑問に対する「答えのATM」 でなければならないと感じているのだ。そのような悩みを抱えている人にとって、自分が「本当に」知らないことを認めることは、相手に自分の考えを提供しても安全だと思わせるための重要なステップになる。しかし、多くの賢いリーダーにとって、自分より質の低いアイデアを受け取ることへの不安が、そもそもアイデアを求めることを難しくしている。 ジョシュの問いかけは沈黙に迎えられた。その後、筆者に経緯を報告する際に、彼は「私の考えは見透かされていた」と打ち明けた。ミーティングで、ジョシュは自分がやっていることは正しいと心から信じていた。欺くつもりなどなく、彼らの考えを引き出そうとしたのだ。なぜそのような状況で、つまり何をすべきか本当は知っているのに、あえて意見を求めたのかと尋ねると、彼は無意識のうちに賭けをしていたと認めた。 「いまにして思えば、彼らのアイデアはうまくいかないと感じた時に、逃げ道がほしかったのだろう」と彼は言った。別の言い方をすれば「自分の専門外のことに意見を求める際は、裏付けのないアイデアを自信のないまま検討しなければならないという不快感に直面する」ということだ。 心理的安全性を保証するためには、コントロールすることを手放す必要がある。「集団的不確実性」の渦中に飛び込むのだ。最初は形のないアイデアや、言葉にならない才能の断片が漂っているように見えるが、集合知の手綱を握ることで素晴らしいアイデアが浮かび上がってくると信じる。 ジョシュは自分がそのような経験をする準備ができていると思っていたが、そうではなかったようだ。このプロセスを真似るために、何も知らない振りをすることは、何もかも知っている振りをするよりたちが悪い。どちらも他人の声をより多く引き出すことはできない。むしろ、他人の声はほとんど届かなくなる。