大谷翔平「小4からホームラン量産」伝説…幼なじみ捕手が明かす成長物語「中学の時はストライクが入らず、大変だった」
打者としての凄み「どこに投げても打たれそう」
ただ、投手として相対した「打者・翔平」は、別格だった。 「スイングも凄いですが、懐が深い構えでオーラがありました。どこに投げても打たれそうな感じがしました」 佐々木はその後、甲子園を目指し、花巻東に進学。1学年上には、菊池雄星(現トロント・ブルージェイズ)がいた。
大谷と菊池
「翔平はどちらかと言えば、高いところから腕を振り下ろして速い球を投げるんですけど、雄星さんは横からくる左特有のクロスファイアが凄かったです」 花巻東は、その菊池を擁し、2009年センバツに初出場すると、岩手県勢初の決勝まで進み準優勝。同年夏には岩手県勢90年ぶりとなる4強進出を果たした。2年生だった佐々木も左翼、そして2番手捕手としてチームの快進撃に大きく貢献した。 「僕らが結構初めてというか、歴史を変えたところもあったので、その時の岩手の盛り上がりは凄かったですね」
花巻東で、甲子園で優勝しよう
佐々木はこの時、中3となった大谷を花巻東に誘うため、一通のメールを送った。 「花巻東で、甲子園で優勝しよう」 大谷も、地元の高校が春夏の甲子園で活躍する姿に刺激を受けたことは間違いない。8月頃には進路を絞り、三度、「ダイキくん」の背中を追って、花巻東に入学した。 最上級生となった佐々木は、新チームから主将を務めていた。呼び名は「ダイキさん」に変わり、久しぶりに受ける幼なじみのボールは、中学の頃とは別格だった。 「190センチの大きさで体を柔らかく使いこなせるので、投手の方が可能性があると思って見ていました。体重は68キロぐらいしかなかったですが、144キロを投げたり、ホームランを打ったりしていたので、体を作ったらもっと凄い選手になると感じていました」
監督がこだわった全力プレー
佐々木の期待通りに、大谷は1年春からベンチ入り。右翼でスタメンに名を連ねることもあった。ただ、そのことで、スタンドで応援することになった上級生がいる。少しでも気の抜いたプレーをすれば、佐々木洋監督から烈火のごとく怒られた。 「3年生を差し置いて試合に出ていたので、逆に厳しくされていたと思います。全力疾走とかしなくても怒られていましたね」
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