クレイジーケンバンド・横山剣「いつも最後のアルバムと思いながら作ってますよ」
【音楽通信】第163回目に登場するのは、“東洋一のサウンド・マシーン”クレイジーケンバンドのフロントマンでボーカルの横山剣さん! 【画像】ジェントルマンな姿に惚れ惚れ! 横山剣さんのショット集はコチラ。
小さい頃は心に響くものを聴いていた
【音楽通信】vol.163 1997年春、横浜本牧で結成されたクレイジーケンバンド(CRAZY KEN BAND、通称CKB)は、2023年にデビュー25周年というアニバーサリーイヤーを迎え、さらに奥深くカッコいい歌とサウンドを聴かせてくれています。 そんなクレイジーケンバンドが、2024年9月18日に24枚目となるニュー・アルバム『火星』をリリースするということで、ボーカルの横山剣さんに音楽的なルーツや新作のお話、日頃の趣味まで、いろいろなお話をうかがいました。 ――クレイジーケンバンドは、昨年デビュー25年周年を迎えましたね。 はい、今年は結成27年にもなりました。バンドをスタートした地点で、すでに僕は37歳でしたし、デビューしたのは38歳。なので、とにかくその出遅れを取り戻す勢いでずっとやっているという感じで、毎年、加速しています(笑)。1年がすごく短いですね。 ――2019年にこのananwebの「音楽通信」で取材させていただいた際、小学生のときから独学でピアノで作曲されているというお話をされていました。 自己流でコードをつけて弾いていたんです。CとかAとか正しいコード名はわからないけれど、たとえばAマイナーは「悲しみ」、Eは「悲しみの入り口」、Fメジャーセブンは「サンセット」といったように音のイメージで名前をつけていて。曲を聴くとどの音かも感覚的にわかっていましたし、自分なりに曲を覚えたり、作ったりしていました。 ――すごいですね。もともとご両親も音楽にお詳しい環境だったのですか? 父親はビクターレコードと取引する会社をやっていたので、家にいっぱい見本盤があって、そのなかに自分にもグッとくる曲がありましたね。父親自身は趣味で、ブラジル音楽やジャズ、ソウルミュージックをよく聴いていました。ただ、両親が8歳のときに離婚して母方に引き取られて。その後も父のマンションには遊びに行っていたので、そこで最新の音楽を聴いて、父親からダイアナ・ロスも教えてもらいました。 ――小さいお子さんが聴く童謡や歌謡曲よりは、大人が聴くような洋楽もすでに聴いていたのですね。 子ども向けの歌も好きでしたし、歌謡曲も演歌も民謡も聴いていました。だからジャンルはまったく気にせず、心に響くものを聴いていて。それを決定的にしたのは、小学校5年生のときにやった中古レコードの実演販売です。11歳のときにノンジャンルで売ってたので、そのときもさまざまなジャンルの曲を聴くきっかけになりました。 実演販売は、レコードをかけながら、たとえ知らない曲でもなんとなく曲を説明しながら(映画『男はつらいよ』の)寅さんスタイルでやるんです。1971年からやっていて、いまも実演販売をやっていますが、ルーツはそこにあるんですね。さらに「イイネ!」という言葉は、もっと前の1960年代から言っています。 ――そんなに前からだったんですね。 その頃は、父親と別れて寂しくしていたときに、伯父が父親がわりになってくれていて。何がいいも悪いもなく、「いいねえ」が伯父の口ぐせだったんです。たとえおばあちゃんの葬式のときでも、久しぶりに会ったら「いいねえ」と。「何言ってるの、今日はお葬式だよ」と言っても関係なく。よくないときも、泣いていても、「いいねえ」と伯父に言われるとポジティブになれる。「まあいいか」と思える魔法の言葉でした。学校でもそれを言うようになって、学校でプチブレイクして、中学のときにバンドをやるようになって。MCで言うことがないから「いいねえ」と言うようになって。ある時期から、いまの「イイネ!」になりました。 ――1981年にロックバンド「クールスR.C.」のボーカルをされていたときも、この言葉は使っていたんですね。 使っていました。その頃は、東京の渋谷区神宮前に住んでいて、青山高校の夜間部に通っていたんです。バイクで高校に行く通学路に、クールスのお店があって、通るたびに声をかけられて面識ができて。クールスは好きだったんで、「牛乳買ってこい」とかお使いをさせられていたんですが、迎え入れられている感じが気分がよかったんですよね。でもまた声をかけられたときに、今度は「明日からクールスのツアーに来い」と言われて、「それは学校があるのですいません」と断ったら、「学校なんか行ってる場合じゃないだろう」ってクールスのリーダーに言われて。まだ退学する勇気がなかったので、休学届けを出しました。 ――高校生のときですよね。 そうです、高校2年生を何回か繰り返しているんですけど(苦笑)。それで休学して、クールスのツアーにスタッフとしてローディで入って、その後サブマネージャーになって、その後ファンクラブ責任者になって。さらにその後は「ボーカルになれ」と言われて、ボーカルになりました。 ――突然の担当がえのようなことは、抵抗がなかったんですね? 抵抗はありましたよ(笑)! 同じ頃、ポリスターレコードからソロでやらないかと言われたんですが、いきなりソロでやってコケたらおしまいだから、断ったんです。ソングライターは、人に歌ってもらってこそ、エゴが果たせる。だから、ソロのオファーはうれしい反面、作曲家としてデビューしたかったので、自分が表に出るとかシンガーソングライターとしてというのはどうなんだろうと。ソロだと歌も自分になりますが、クールスだと自分が作った歌をバンドメンバーも歌ってくれるのがいいなと思ったんですよね。 だから、バンドのボーカルを選んで。クールスR.C.として、17歳のときに自分が作った曲で、21歳のときにデビューしました。その後も自分でボーカルをしたものが全部シングルになっています。うれしかったのと同時に不安もあって、自分は後から入った立場だから、お客さんが受け入れてくれるんだろうか、と。モー娘。でいうと後藤真希、ドリフでいうと志村けんみたいな立ち位置でしたから(笑)。すぐには受け入れてもらえないと不安がありましたが、わりとすんなり受け入れてもらえたのでよかったです。 新作はスペーシーな雰囲気のある場所から想起 ――2024年9月18日にニューアルバム『火星』をリリースされます。インパクトのあるタイトルですね。 鶴見区の京浜工業地帯にドライブに行くと、夜は工場に電飾がついて、スペーシーな雰囲気でカッコいいんですよね。その近所に、ゴム通りと呼ばれる通りがあって、そこに以前実在した“火星”という焼肉屋さんの名前からタイトルをつけました。「なんで焼肉屋さんなのに火星なんだろう?」と気になって、さらにお店のネオンもスペーシーで。ちょうどそこを通りかかったときに、そろそろアルバムタイトルを決めようかなというタイミングだったので「これだ」と思ったんですよね。アルバムタイトルを冠した2曲目の「火星」は当初タイトルがなかったんですが、アルバムタイトルに合致する世界観があったので曲名も同じにしました。 ――今回も共同サウンドプロデューサーで作編曲家のPark(gurasanpark)さんとの共作もあります。 Parkくんには2018年から関わってもらっていて、前はもう少し間接的な関わり方でしたが、いまでは一心同体というぐらい、一体感が増えました。僕の頭のなかで生まれるメロディを引き出すためのバックトラックを作ってもらって、半分くらいはそのバックトラックにまた何かを乗っけていくような作り方をしています。僕は脳内に鳴っている音楽や、直感的にひらめいたことをパパッとメンバーに伝えるんですが、わかりにくいところもあるようで。Parkくんはそこをちゃんと言葉でメンバーに伝えてくれて、通訳してくれます。 ――剣さんにとっても、よい刺激になるようなところも? そうですね。デモ音源を作るのに効率もいいですし、興奮もしますし。今作も5曲の共作がありますが、彼の作ったバックトラックから、いままで自分になかったメロディが浮かんでくることもありました。 ――3曲目「ハマのビート」は、ノリノリのアップテンポなナンバーです。 横浜の「ハマフェス」というお祭りの公式テーマなんですが、有志から頼まれまして、作詞、作曲、編曲、レコーディング、配信、さらにハマフェスでの初披露など、すべてを一か月以内に完遂しました。僕はCDのパッケージに思い入れがありますが、この時代のサブスクにも有り難みを感じています。作ってすぐに出せるというのは、サブスクの魅力ですね。 ――5曲目のメロウな「Percolation」は、先行配信された楽曲ですね。 この曲は全部、自分の頭のなかから出したものです。制作の過程では、1か所だけ頭のなかにあるコード進行がどうにもアウトプットできなくて、いろいろちょっと音を出してもらえますか、とParkくんに弾いてもらって。「これですか?」「違う」「これですか」「それ!」というやりとりも。自分の鍵盤の能力に限界があるので、そのあたりは、「もうちょっと宇宙的な感じなんだよね」と言うと、すぐわかって音を出してくれて。それはもうひとり、うちのギターの小野瀬雅生もできるワザなんですよね。 ――小野瀬さんというと、ピコピコとSFチックな音も印象的な12曲目「Trans Solar System Express」の作曲をされていますね。 YMOが大好きだったのでそんなテイストもあるものの、途中で韓国のポンチャック(歌謡曲と演歌が混在したような音楽)仕様になってたり、サビは北欧のギターインスト風味になったり。北欧といっても、昔の1960年代のフィンランドのサウンドみたいなテイストですね。 ――この曲はインストですが、以前からこういった歌唱のない曲を数曲、アルバムに収録されています。 歌モノよりも、バート・バカラックとか、本当はイージーリスニングが好きなんです。シンガーソングライターが台頭してから、歌モノもいいんだな、と思うようになったけれど。ユーミンさんとか、山下達郎さんとか、矢沢永吉さんとかを聴いて、自作自演の曲も素晴らしいと思うようになりましたね。 ――8曲目「おお!マイガール」は剣さんの作詞作曲です。 ずっと前からある曲で、頭のなかでずっと鳴っていたけど出すタイミングがなくて。毎年候補に入れながらも、ちょっと恥ずかしくて、いつも引っ込めていた曲です。今回、いまが出し頃だと思って収録しました。何のひねりもない、まっすぐな歌詞のシティソウルです。 ――まっすぐな歌詞だから、少し気恥ずかしかったのですね? それもありますし、サウンドがちょっと古くさいかなと思っていたんですけど。いまは古いからダサいなんて言う人はいなくなったでしょ。僕らにとって「古い!!」はある意味、褒め言葉だったりもする。しかも、いま思う“古い”なんですよね。やっぱり前に進んでないと、古いことを認識できないから。たとえばジンジャー・ルートとかロス・レトロスとか、若い人が70年代の音楽を料理し直して発表していますよね、「クールだ」と言って。要するに僕らが「古くさい」と感じてたのは、聴き方のセンスが違っているからで、若い人のセンスに逆輸入的な逆影響を受けることもあります。 ――若い世代にも刺激を受けて常に活性化されるということは、スランプで曲が書けなくなることはないのですね。 自分の子どももそうですが、常に10代や20代の人との付き合いもあるので、いい影響をもらえるんだと思います。同世代で集まるのも楽しいんですが、へたをすると昔はよかったという話になってしまうこともあるから。それだけだと現役感がなくなっちゃう、しなくていい変化をしてしまったり。よくベテランの歌手が昔の歌をすごくためて歌ったり、アレンジを変えてしまったり。その曲の良さがそこなわれてしまうこともありますが、そういうことじゃないんだよと。フレッシュであることが大事。 たとえばサウンドプロデューサーのParkくんも、親子ほど年が離れていますが、僕がちょっとダサいかな、と思っていたことが「いまはクールです」と言ってくれたり。音楽は多面体だから、どんどん変わっていくんですよね。ただ、若い人との交流で影響を受けるか、受けないかは、そのときの自分の気持ちによりけりです。 ――アルバムのラスト16曲目「Sha na na na na」は、歌詞では触れていませんが、愛犬との別れが大きく影響しているそうですね? 以前、ananwebで「チワワを飼った」と聞きましたが、そのワンちゃんのことですか。 そう。小さいチワワちゃん。横浜のホームセンターのペットショップで、かなり大きい犬と大ゲンカして圧勝していたチワワが気になって、接着剤を買う予定だったのにそのチワワを買って帰ったという話。今年の1月に死んでしまって……。これまでの思い出や感謝がメロディに表れた曲です。前に柴犬を飼っていたときは「コロ」という犬のことを書いた曲があって、犬のことだけに特化していた。でもこの曲には、思い出のなかに生きる人々やペットたちへの想いが入っています。 ――アルバムは毎年1枚ずつリリースされていますね。 いつも「これが最後のアルバム」と思いながら作ってますよ。いま20代、30代だったら、6年ぐらいあけて出してもいいんですけど。いつどうなるかわからない恐怖から、毎年出しているところもあります。曲数も聴く側の集中力を考えると、多過ぎるのもよくないなと、今回は12曲にして。1曲に対する密度が高くなって、全部がシングルのようなクオリティじゃないといけない気持ちになるので、いままで以上に作るのに時間がかかりましたし、大変でしたね。 ――アルバムの後には全国ツアー「クレイジーケンバンド 火星ツアー 2024-2025」が開催されますね。 9月の東京・福生から2025年3月の兵庫県・神戸まで、今秋から来春にかけて、全国をまわります。アルバムからも、あまり披露したことがない曲もカヴァーも演奏します。まだ曲順も決めていないので、ぎりぎりにならないと、モードが見えてこないんですけど。だから練習に間に合うように、選曲しようと思います。 ユーモアのある新しい作品を作っていく ――お話はかわりますが、ステージでもパワフルな剣さんは、普段から鍛えているんでしょうか。 ジムに行って、筋肉をつけているんですが、お腹も出てきているんですよね。筋肉をつけるとお腹が目立たなくなるから(微笑)、ステージ自体が一番のフィットネスになっています。ジムでは限界があって、1時間も運動したらけっこうつらいんですが、ライブだと3時間でも平気。暑いのも、忘れてしまうんですよね。 ――ハットとサングラス姿が素敵ですが、普段のファッションはどのような感じですか。 普段は、Tシャツにデニムのような感じが多いです。お呼ばれや会食があるときはビシッとスーツを着ていきますが、ずっと着ていると肩がこってしまうから、長時間のときは脱げば楽になる格好をしていて。サングラスとハットもしないですね。かぶるとしても、キャップかな。ステージ衣装は、短パンにランニングとか、昔のサザンのようにしたいと思ったこともありましたが、スタートがもうスーツで出てしまったんですよね。いまさら短パンで出るのも露出が多くて恥ずかしいので、ステージではスーツがいいです。 ――以前、ご趣味が「車、バイク、植物をいじること」とおっしゃっていて。いまも変わりないですか? そうですね、とくに植物という面では、畑を借りて野菜を作っているんです。自分の家だと手狭なんですが、シェア畑というのがあって、畑の団地みたいなところを借りて、トマトやらスイカやらチンゲン菜やら茄子やら、いろいろな野菜を作っています。 ――いつからシェア畑で野菜作りを? コロナ禍の少し前からだから、5年前ですね。自分で作って自分で食べたらうまいんじゃないかな、と。いざ始めたら、「こんなに大変ったんだ」とわかりましたが。畑を耕すとどろどろになりますし、汚れますし、夏に長靴を履くのもつらい(苦笑)。ただ、できる野菜の形は無骨ですが、自分で作った野菜やイチゴとかを収穫するのは、なんかうれしいんですよね。うまいかどうかといったら、絶対に売っているものがうまいはずなんですが。 ――楽しそうですね! 楽しいですよ。あと畑ではなく、自分の家ではブルーベリーも作っていて。自分で種を撒くので失敗もあるんですが、ちゃんと実がなって、収穫するときには、すごく充実感があります。ちょきちょきとハサミで切って、バケツに入れて。実がなったらザルにバーッとブルーベリーを入れて、そのまま洗って一気に食べるとさらにおいしいんですよね。 ――いろいろなお話をありがとうございました! 今後はリリース、そしてツアーが控えています。 来年の3月にツアーが終わったら、すぐ次作のデモ音源を作ります。いまもデモ音源の一歩手前のところまで自分のレコーダーに曲ができていて、それがけっこうな数になっていて。歌詞を先に作るのも好きなんですが、詞が先にあるとメロディが押し出されて生まれてきて、すでに30曲ぐらい新曲ができています。 ――ずっとバイタリティにあふれていらっしゃるのですね。 曲が未完成でも、そこからブラッシュアップしていけば、いいものになっていくと思っていて、できたものはなるべく作品したいと思っています。たとえば昭和のようにヘビーな時代は、真逆の馬鹿馬鹿しい歌で救われることがある。僕はクレイジーキャッツなどの歌に救われたから、そういったユーモアみたいなものはずっと失いたくないですね。毎年、自分でも、今度はどうなっているんだろうかと思いながらも、みなさんに新しい曲を届けていきたいです。