あるスペシャリストの重圧【山本萩子の6-4-3を待ちわびて】第113回
5月3日に神宮球場で行なわれたナイターゲームで、ある「事件」が起こりました。ホームに中日を迎えたヤクルトは6回まで3-0でリードしていたものの、7回表に1点差まで詰め寄られます。その裏の2アウト・ランナーなしの場面で、デッドボールで出塁した山田哲人選手の代走として岩田幸宏選手が起用されました。 【写真】山本キャスターの最新フォトギャラリー 2021年の育成ドラフト1位で入団した岩田選手は、今年の3月に初めて支配下登録され、1軍の試合に出場するようになりました。俊足が特長の選手で代走としての起用が多く、見事にその期待に応えていましたから、3日の試合もリードを広げるために盗塁が期待されていたのは間違いないでしょう。 代走として1塁に立ち、2塁を陥れようと大きなリードをとった岩田選手でしたが......齋藤綱記投手の巧みな牽制にタッチアウト。球場は大きなため息に包まれました。 流れを失ったヤクルトは次の回に同点にされ、なんとも嫌なムードが漂います。最終的には延長11回裏、塩見泰隆選手のサヨナラツーランで劇的な勝利を収めたのですが、試合終了と同時に号泣する岩田選手の姿をカメラが捉えていました。 その試合まで盗塁を2回試みて、どちらも成功していた岩田選手。あの代走の場面にかける意気込みも並々ならぬものがあったのでしょう。試合後の涙には、大事なチャンスを潰した悔しさが滲み出ていました。そんな岩田選手を、西川遥輝選手をはじめ、多くのチームメイトが慰めていたのも印象的で、思わずもらい涙をした方も多いのではないでしょうか。 岩田選手が、塩見選手のサヨナラホームランが出るまでどんな心境でいたかを考えると、胸が押しつぶされそうになります。代走のスペシャリストとして期待された場面で、盗塁失敗ではなく、まさかの牽制アウト。もしかしたら、その後の進退さえ頭をよぎったかもしれません。 以前にインタビューした時に、育成から支配下登録されたばかりの岩田選手は、ひとつのチャンスも無駄にできない"背水の陣"で今シーズンに臨んでいると感じました。 支配下登録されたことをお母さんに電話で報告したら、お母さんが涙を流した、という素敵なエピソードもありますが、今はスタメンでは出られなくても、少ないチャンスをモノにしてプロとして生き残ることに必死なはず。だからこそ、チームを勝ちに導けなかったことが不甲斐なかったのでしょう。最終的になんとか勝てたことで肩の荷が少しだけ下りたことも、試合後に涙した要因のひとつだったかもしれません。