「おらが町のチームを福島に根付かせたい!」 岩村明憲の心に残るマイナーリーグの景色
「昨年、独立リーグ日本一を決めるグランドチャンピオンシップが、自分の故郷、愛媛で開催されました。選手たちは、『岩村監督を地元に凱旋させよう』と戦ってくれました。目標は叶いませんでしたが、選手たちがそう思いながら頑張ってくれたことが嬉しかった。 共通の目標をひとつでも持って、全力でそれに向かって突き進む。若い二十歳前後の時期、そういう経験があっても良いのではないでしょうか。野球選手でいられる、今しかできないことですからね。僕自身はそれを全力でサポートしてあげたいと思っています」 2023年シーズン、福島レッドホープスは北地区3位(27勝36敗)と苦しい成績に終わった。そんな中、岩村が3年間向き合い、じっくりと育てた大泉周也が、ソフトバンクから育成ドラフト1位で指名されNPB入りを果たした。 高校時代(山形中央)は通算53本塁打を記録した大泉。しかし社会人(日本製鉄鹿島)に進んでからは目立った実績は残せず、3シーズンを終えたとき、社業に専念するよう勧められた。安定したサラリーマン生活を選ぶこともできたが夢を諦めきれず、周囲の反対を押し切り練習生として福島レッドホープスに入団した。そして岩村と出会い、打撃指導を受けて才能を開花させた。 入団1年目(2021年)は51試合に出場して2本塁打。2年目は24試合に出場して3本塁打と、すぐには結果は出なかった。しかし勝負をかけて挑んだ3年目の昨シーズン、努力はようやく実を結んだ。6月に打率.448、4本塁打、14打点を記録し月間MVPを受賞する活躍を見せると、最終的には61試合出場で打率.349、16本塁打、52打点を記録し本塁打王にも輝いた。 大泉は「ピッチャーの足元に強い打球を打て」という岩村のアドバイスを愚直に守り続けた。また岩村の薦めで秋山翔吾(広島)の自主トレに参加できたことも成長につながった。ソフトバンクの担当スカウトに「おもしろい選手がいるから見ていってください」とアピールし、注目される最初のきっかけを作ってくれたのも岩村だった。 ソフトバンクの若手が過ごす若鷹寮に入寮する際、大泉は「誰よりも振り込め」と岩村から贈られたバットを持ってきた。あるインタビュー記事で大泉は、「魂がこもっているので、折りたくない。なかなか使えない」と話し、「調子が上がらないときだけ使います」と答えていた。 福島レッドホープスの楢葉キャンプ――。 チームOBの畠山氏から伺ったように、練習は気迫溢れた密度の濃い内容で、岩村の指導からも「ひとつのミスも許さず、ひとつのプレーもおろそかにしない。そのために何事も全力を尽くす」という緊張感が伝わってきた。厳しくも温かい眼差しで見守る岩村の姿を見ていると、高校野球界の名将が思い浮かんだ。 宇和島東を11回、済美を6回、甲子園出場に導いた上甲正典監督。岩村にとっては生涯忘れることのできない「野球人としての原点」とも言える恩師だ。 (つづく) ●岩村明憲(いわむら あきのり)1979年2月9日生まれ、愛媛県出身。宇和島東高校から96年ドラフト2位でヤクルト入団。ベストナイン2度、ゴールデン・グラブ賞6度受賞。2007年にデビルレイズ(現レイズ)に移籍。パイレーツ、アスレチックスでもプレーし、11年から楽天、13年からヤクルト、15年からBCリーグ・福島で選手兼任監督。17年に現役引退して以降も、監督兼球団代表として福島で奮闘の日々を送っている 取材・文・撮影/会津泰成