能登の名城、復興へ調査 地震で崩落「価値再検証」
石川県七尾市の七尾城跡は、元日の能登半島地震で石垣崩落などの大きな被害を受けた。「日本100名城」の一つで、地元住民にも散策コースとして親しまれており、市は年内にも調査・修復の計画を策定して早期復興を目指す。 専門家は「復旧過程で新たな発見の可能性もある」と指摘。歴史的価値の再検証にもつなげたい考えだ。 七尾城は戦国時代の16世紀前半、能登畠山氏が居城として整備した日本海側屈指の巨大な山城。多くの武将が攻めあぐね、標高約300メートルの本丸からの眺めは、上杉謙信に「絵像に写しがたき景勝」と称された。国史跡で、石垣も文化財に指定されている。本丸などの建物は残っていない。 元日の地震では石垣が崩落・変形し、地面に亀裂や陥没が生じた。大きな被害が出た箇所は23地点。石垣が大きく崩れた箇所は、立ち入りが禁止された。本丸部分にも登れない状態が続く。 市民団体「七尾城山を愛する会」の国分秀二さん(76)は「市名の由来になっていて、地元にとって大事な場所だ」と話し、早期復旧を期待。「被災地支援で訪れた人たちにも、早く本丸跡からの美しい景色を見てほしい」との願いも抱く。
2024年8月には、市や石川県、城郭の専門家らが現地調査。市の担当者は「石垣が膨らんでいる所があり、再び崩れるかもしれない」と説明した。参加者からは「再崩落防止などの応急対策を取れば登るルートを確保できる」などの意見が出た。 現地調査では、築城当時の石垣の痕跡や、櫓門跡とみられる遺構も確認された。名古屋市立大の千田嘉博教授(城郭考古学)は「江戸時代に近い時期まで使われていたことがうかがえる。調査・修復を通じ、戦国の新しい歴史が見えてくる可能性がある」と述べ、復興過程は学術的にも注目を集めるとみている。 能登半島地震では、金沢市の金沢城も大きな被害を受けた。石川県によると、復旧には15年ほどかかる見込み。