【文化中国】中国・北京の鐘鼓楼、朝の鐘、夕べの太鼓、そしてロックミュージック
【東方新報】最近の北京市で最も人気のある写真スポットはどこだろう? 750年以上の歴史を持つ鼓楼(Drum Tower)がトップ3に入るかもしれない。 鼓楼の赤い壁が目当ての人もいれば、近隣の胡同(Hutong)の花火が目当ての人もいるし、かつての北京のロックミュージックの聖地を見物に来る人もいる。 北京の壮大な歴史的建造物・鼓楼は、北側に建つ鐘楼(Zhonglou)とともに北京の中心軸の北の起点にある。この二つの建造物を合わせて「鐘鼓楼」とも称される。 中国の元、明、清の王朝時代、早朝には鐘を鳴らし、夕方には太鼓を叩いて時刻を知らせ、何世紀にもわたって北京の歴史と文化の変遷を見守ってきた。 約20年前、北京の「鐘鼓楼」は、近隣の胡同の家々で活動する若い音楽家たちを迎え入れた。彼らの青春はまさにこの古い北京を象徴する建造物のそばで花を開かせた。 20世紀・90年代、欧米ではアンダーグラウンドの「エレキ・ロック」の波が起こり、開放的で多元的な音楽的雰囲気が醸成された。米国のハードロックバンド「ジョン・ボン・ジョヴィ(Jon Bon Jovi)」から英国のプログレッシブ・ロックバンド「ピンク・フロイド(Pink Floyd)」まで、サイケデリックな電子音楽からクラブ・カルチャーまで、この潮流は中国の若者世代にも影響を与えた。 『新長征路上的揺滾(Rock 'n' Roll on the New Long March)』から『無地自容(Wudi Zirong)』まで、『孤独的人是可恥的(Gududeren shi kechide)』から『鐘鼓楼(Bell and Drum Tower)』まで、当時、崔健(Cui Jian)、斗偉(Dou Wei)、張楚(Zhang Chu)、何勇(He Yong)といった中国のミュージシャンたちも自分たちのロックを歌っていた。 当初、彼らは北京の「豪運倶楽部(Haoyun Club)」や老舗フランス料理店「馬克西姆餐庁(Beijing Paris Maxim Restaurant)」などの会場で演奏していた。その後2000年初めの頃から鼓楼近くの胡同にライブハウスが誕生したことで、このエリアは先駆的な音楽愛好家たちのパラダイスとなり、中国のロックンロールは急発展の黄金時代を迎えることになった。 中国のロックバンド「痛仰(Tong Young)」のリードボーカル・高虎(Gao Hu)は「当時は貧乏だったけれど、音楽とともに暮らした楽しい日々だった」と振り返る。 「MAOライブハウス(MAO live house)」は07年に日本の音楽イベント企画会社「バッドニュース(Bad News)」と共同で、当時北京のロックの牙城だった鼓楼東大街(Gulou Dongdajie)にライブハウスをオープンした。一時期、「鼓楼に行ってロックを聴く」は、流行り言葉になった。その後、「彊進酒(Jiangjinjiu)」「東岸爵士吧(東岸ジャズバー、Dong’an Jueshi Ba)」「愚公移山(Yugong Yishan)」「TEMPLE」「DADA」などのライブハウスが続々と開店し、鼓楼の音楽はフォーク、ジャズ、ポストロック、エレクトロニカなど、ますます多様化していった。 北京のロック・ファンは、ライブのたびにミュージシャンが入り口でおしゃべりし、観客はライブのポスターや色々なバンドのロゴやレーベルが貼られた狭い通路で入場券を切ったり、酒を買ったり、会場は心に響くロックンロールと若者が発する「若さのホルモン」でいっぱいだったと回想する。「当時の鼓楼はロックを聴き、メタルミュージックを演奏する人たちが街中にあふれ、『鼓楼ロック』と呼ばれる独特のスタイルがあった」という。 しかし、17年に鼓楼地区が都市再整備にあい、北京の旧市街の全面的な保護が実施されたことで、ライブハウスは次々と閉店・移転を余儀なくされ、「鼓楼ロック」の黄金時代は終焉を迎えた。 現在、鼓楼地区はまだ賑やかで騒々しい街だが、ロックミュージックに関しては、目立たない一角にロックのCDを売る店が1、2軒残るだけで、往年のロックの聖地は古い写真でしか探すことができない。 北京の鼓楼はあらゆる変化を受け入れてきた場所だ。北京の先駆的な音楽文化の出発点で、音楽愛好家にとっては青春の思い出・心の故郷でもあった。鼓楼のライブハウスはなくなってしまった。しかし今でも「北京のロック」は死んではいない。 今、中国のZ世代が、インターネットを初舞台として、自分たちの創作を披露し、アニメやゲームなどの二次元文化と結びついた「二次元ロック」や中国の伝統的楽器を用いた「琵琶(Pipa)ロック」といった新しい演奏スタイルがあちこちで生まれている。 一方、ライブハウスなどオフラインの領域でも急速な発展が見られ、北京で千人規模のライブハウスが次々にオープンしている。 もはや古い北京の街中にはライブハウスは集まっていないが、有名ライブハウスの多くは、移転先で今でも若者たちの集う場所であり、北京の最新のロックンロールの標識となっている。(c)CNS/JCM/AFPBB News ※この記事は、CNS(China News Service)のニュースをJCMが日本語訳したものです。CNSは1952年に設立された中華人民共和国の国営通信社です。