「ルビーちゃんは亡くなる2週間前にお見舞いに来た」 稲川素子さんの娘が明かす母の素顔【追悼】
自ら六本木でスカウト
「もちろん母は会社の『か』の字も知りませんでした。父に“ままごとじゃないんだぞ”と怒られて必死で勉強していました」 苦労したのはタレントの確保。依頼は次々来るものの、紹介する外国人が見当たらない。 「そこで母は六本木のアマンドの前に立ってスカウトしていました。“This is MOTOKO INAGAWA”と話しかけて名刺を渡し、“こういう役を探していますが困っていて”と訴えかける。社長の役が必要と言われたら、パッと見て社長っぽい人に、教授と言われればそう見えそうな人に声をかける。すると、その人が実際に企業経営者だったり、先生だったりすることが何度もあったんです。“人は内面が表に出る”とよく言っていましたね」 しかし、相手は文化も慣習も異なる外国人。トラブルは日常茶飯事だった。 「撮影の当日、収録に来ないことがよくありました。そういう時はおわびをして回るしかないですし、弁償しないといけないことも。“危ないな”と思った場合は前夜に家に泊め、一緒にスタジオまで連れて行くこともあったほどです」
「亡くなる2週間にルビーがお見舞いに」
こうした苦労を乗り越え、事務所は外国人タレント5000人を抱える大手に発展していった。売れっ子でいえば、セイン・カミュやゾマホン、フィフィなどの名が挙がるが、何といっても縁深かったのは、 「ルビー(・モレノ)ちゃんでしょうね」 と笑う佳奈子さん。 「急に連絡が取れなくなることがよくあって。その度に母は頭を下げて回っていましたけど、あとで彼女が“素子さ~ん”と来ると許してしまう。高校時代にイエス様の教えを学び、人を許してばかりの人生でした」 ルビーとは契約を巡り、裁判にまで発展したこともあったが、 「最期まで交流は続いていました。亡くなる2週間前にもお見舞いに来て。母がフィリピンの歌を歌ったり、手をつないでお祈りをしたりしていました」 後に死を伝えると、ルビーは絶句していたという。 遺体は荼毘(だび)に付し、密葬も済ませた。後日、「しのぶ会」が開かれる予定だ。 「生前、母から、しのぶ会では大好きなベートーヴェンの『皇帝』を弾いてほしい、と頼まれていました。その約束を守り、心を尽くして会を催したいと思っております」 まさに大往生。生前の稲川さんらしい、盛大な会となりそうである。 「週刊新潮」2024年6月20日号 掲載
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