オールディーズからオリジナルまでレパートリーは500曲以上! 歌手生活40周年のTheリーゼント歌手、チャーリーニーシオにロングインタビュー
6月16日(日)、大阪・十三にある昭和レトロの雰囲気が漂うキャバレー「グランドサロン十三」にて、『チャーリーニーシオ・ホット・レヴュー』が開催される。昨年歌手生活40周年を迎えた“エルヴィスの伝道師”ことチャーリーニーシオが、スタンダップ・コメディ、音曲漫才、マジック、タップダンスなどの多彩なゲストと一緒に、昭和キャバレーのショータイムの雰囲気が楽しめるステージを届ける。今回はメインホストのチャーリーニーシオに40年にわたる歌手活動や、今回のステージへの意気込みを聞いた。 全ての写真はこちら ――歌手生活40周年おめでとうございます。まずは歌手を志した経緯をお聞かせください。 「僕の実家近くに、ミュンヘンから戻って来られたオペラ歌手の浜渦章盛さんが設立されたローゼンビート少年少女合唱団があって、小学四年生からそこに入って歌っていました。ちゃんとクラシックの基礎も教えてくださる合唱団で、浜渦先生が持たれているラジオ番組やテレビ番組に出していただくこともあり、そこで歌うことの楽しさを教えてもらいました」 ――2012年に開催された世界エルヴィス大会に日本代表として出場されていますが、エルヴィスとの出会いは? 「中学二年生のとき、エルヴィス・プレスリーが亡くなったというテレビ報道を見て彼の存在を知りました。それがきっかけで、彼の過去のビデオを観たりレコードなどを聴いたりするうちに夢中になっていきました。だからリアルタイムで聴いていたわけではないのです。その1年前から南こうせつ、風とかオフコースとかが大好きで、ギターを買ってフォークソングを練習していたのですが、そういうことがあって中二でエルヴィスに転向です(笑)。クラシックからセンチメンタルソング、そしてロカビリーに流れていったタイプですね」 ――リーゼント・スタイルもそこから? 「そうそう。リーゼントって不良やヤンキーのイメージですが、僕はエルヴィスを真似てファッションとしてやっていたんです。まあ、世間から見ると、同じヤンキーに見られちゃうみたいな。僕より10歳ぐらい上だと、CAROL(キャロル)とかクールスとかの影響でリーゼントも多かったけど、僕らの世代はパンチパーマが多くリーゼントは珍しいタイプだったので、周りからは『なんじゃそりゃっ』って言われましたけど(笑)。そこからずっと今までこれがしたくて生きているみたいなもんです。ポマード消費量は日本一だと自負してます(笑)」 ――歌手活動を始められたきっかけは? 「大学在学中ときに、ちょうど神戸に『ケントス』っていうオールディーズの店ができるっていうので、売り込んだらそこで毎晩歌わせてもらうことになって。出演する前からエルヴィスとかオールディーズが好きだったので、そんな好きなことでお金を頂けるのなら最高じゃないかと思って歌手活動を始めました。今は貸ホールになっていますが、大阪ミナミにある『ユニバース』というキャバレーでも歌っていました」 ――エルヴィス以外に影響を受けたアーティストは? 「エルヴィスから入ってオールディーズを聴くようになり、高校生の時には当時流行っていたネオロカビリーのストレイ・キャッツが好きになりました。まあリーゼントつながりでね。さらにストレイ・キャッツと並ぶニューヨークの人気ロカビリーシンガーのロバート・ゴードンのことを知り、大ファンになりました。僕がチャーリー・アンド・パイライツというバンドで活動していた27歳ぐらいの頃、彼が初来日するという情報が入りすぐにその事務所に『前座をさせてほしい』と頼みました。そしたら『デモテープを送って』と言われて送ったところ、『お願いします』っていう連絡が来て出演が決まりました……うれしかったですね」 ――いきなり電話して、しかも一発OKってすごいですね! 「いい話でしょう! それで大阪とか神戸の公演で出させていただいて。梅田のバナナホールでロバート・ゴードンの初来日の公演の時、先に入ってステージでサウンドチェックをしていたら、ロバート・ゴードンが入ってきて、めちゃくちゃうれしかったですね、やっぱり。ずっと憧れていた人ですから。『よろしく』って握手してもらった手の柔らかさを今でも覚えています」 ――そこから活動の幅がさらに広がりましたね。 「30歳の頃に上京しました。テイチクレコードがロカビリーブームに乗って、『GO CAT GO』っていうロカビリーレーベルを立ち上げたんですね。その中のイチ押しアーティストってことでスターリーアイズというロカビリーバンドのボーカルをしていました。有名なバンドが来日した時には一緒に全国ツアーを回りました。もちろんロバート・ゴードンとも。そうそう、ロバート・ゴードンの前座をやっている時に、楽屋にザ・ロカッツという人気バンドのギタリストが来て親しくなり、東京でその人ともバンドをやったんです。今でも付き合いがあります」 ――ミュージシャン仲間がどんどん広がっていきますね。 「ロサンゼルスでもライブやりました。ザ・ロカッツはすごい人気があって、元々ミュージシャンでもある俳優のジョニー・デップもザ・ロカッツのめちゃめちゃファンで、当時彼がロサンゼルスに持っていたライブハウス『ザ・ヴァイパー・ルーム』への出演を頼んだそうです。僕がたまたまレコーディングでロサンゼルスに行っていた時で、そこでザ・ロカッツのライブがあるっていうので、僕もかけつけて彼らのヒット曲『メイク・ザット・ムーブ』を舞台に上がって歌って…(僕は何をやってんだ)みたいな(笑)。もう楽しかったですね」 ――帰阪されてからもさまざまな音楽活動をされています。 「東京ではさまざまなベテラン歌手と共演したり、いろいろなバンドで活動したりしました。1996年に大阪に帰ってきてからは、スイングバンド活動、スイングダンス教室を主宰するなどをしてスイングダンスを広めたいなと思っていたら、2012年にあった『ジャパニーズエルヴィスを探せ!コンテスト』で優勝し、アメリカ・メンフィスで開催のエルヴィス・プレスリー世界大会の日本代表になったので、それをきっかけにこの12年間はまた改めてエルヴィスを学び直すことになりました」 ――上京前には自主製作で『ロックンロールアイコン』というCDを出されていましたが、昨年は徳間ジャパンからソロデビューされました。 「2016年に『心の歌謡選手権』というオーディションがありまして、決勝まで行きました。優勝したらメジャーデビューってことでしたが、準優勝だったんですよね。『惜しい』みたいな。残念ながらデビューできなかったんですけど。というのはですね、私の母親が池田市でカラオケ喫茶をやっていて、『うちの息子歌手ですねん』とお客さんに言うてくれてるんですけど、自分の曲が1曲もカラオケに入ってないんですよ。エルヴィスとかばっかり歌ってたから(笑)。だから母親が元気なうちにカラオケに自分の曲を入れたかったんです。昨年『港のハイボールソング』という曲をリリースし、念願のカラオケに入れることができました。CDは全4曲入っています。僕も作詞作曲はするんですけど、今回は道頓堀にある『石ノ花』っていうバーのマスターが作詞されて、僕が曲を付けるというパターンで。昨年は2人で25曲作りました」