「バカにしないでよ」19歳の山口百恵が歌い分けた10代と30代の女…伝説の歌姫が唯一、本気になれた作詞作曲家との出会いとは
「NHK紅白歌合戦」(1978年)で紅組のトリに大抜擢された『プレイバックpart2』
1978年に『プレイバックpart2』を作詞した時、阿木耀子は歌の中に2箇所出てくるセリフめいたフレーズを、上手く歌い分けてほしいと思っていた。 しかし、完璧を求めすぎるあまり、作品づくりの段階で時間がかかってしまったことから、楽曲が完成してデモ・テープが出来上がったのはレコーディングの日の明け方だった。 そのデモテープを萩田光雄が昼までにアレンジし、待たせているミュージシャンでカラオケを録音し、そこから山口百恵の歌を吹き込まねばならない。さらにその後にミックスまでを終わらせて、夜中に工場へマスターテープを納品しないと、発売日に間に合わなくなるスケジュールだった。 そんな切迫したぎりぎりの状況で、多忙を極めていた山口百恵もテレビの収録からスタジオに駆けつけて、その場で聴いたばかりのデモ・テープを頼りに、ヴォーカルを録り始めた。 阿木耀子はセリフめいたフレーズを打ち合わせる時間もなく、始まってしまった歌録りを聴くことになった。 最初に歌ったテイクをプレイバックして聴いたときの印象を、著書『プレイバックPARTⅢ』のなかで阿木はこう述べている。 私は百恵さんのプレイバックの声を、スタジオのミキサールームのあのスピーカーで聴けたことを、とても幸福に思う。 最初を十八歳で、次を三十歳で歌い分けてほしいと言うより前に、モニター用のスピーカーから流れてくる声はまさしくそうなっていた。 「バカにしないでよ」 「馬鹿にしないでよー」 十八歳の百恵さんの中に、確かにしたたかな大人の女が透けて見えた時、本当に凄いなと思った。 山口百恵は他には誰も歌いこなすことができないような歌詞、そしていろいろな含みのあるフレーズを、あの低い声で吐き捨てるかのように歌った。そして歌詞とメロディとサウンド、そして歌声やセリフ全部が一つになって、ドラマティックな表現に昇華していった。 これを10代で自然にやれたということが、山口百恵という表現者の比類のない強みだった。山口百恵は『プレイバックpart2』で史上最年少の19歳にして、『NHK紅白歌合戦』(1978年)で紅組のトリを務めた。 文/佐藤剛 編集/TAP the POP