【衝撃】明治時代の“推し活”!与謝野晶子の執念が生んだ略奪愛の真相
正気じゃないけれど……奥深い文豪たちの生き様。42人の文豪が教えてくれる“究極の人間論”。芥川龍之介、夏目漱石、太宰治、川端康成、三島由紀夫、与謝野晶子……誰もが知る文豪だけど、その作品を教科書以外で読んだことがある人は、意外と少ないかもしれない。「あ、夏目漱石ね」なんて、読んだことがあるふりをしながらも、実は読んだことがないし、ざっくりとしたあらすじさえ語れない。そんな人に向けて、文芸評論に人生を捧げてきた「文豪」のスペシャリストが贈る、文学が一気に身近になる書『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)。【性】【病気】【お金】【酒】【戦争】【死】をテーマに、文豪たちの知られざる“驚きの素顔”がわかる。文豪42人のヘンで、エロくて、ダメだから、奥深い“やたら刺激的な生き様”を一挙公開! ● 近代日本文学の代表的な女性作家 与謝野晶子(よさの・あきこ 1878~1942年) 大阪生まれ。本名・与謝野志やう、旧姓・鳳。堺女学校(現・大阪府立泉陽高等学校)卒。代表作は『みだれ髪』『君死にたまふことなかれ』など。歌人・詩人であり、平塚らいてうが創刊した雑誌『青鞜』に参加し、女性解放運動に貢献した。老舗の和菓子店を営む家に3女として生まれたものの、後妻の子のため抑圧されて育つ。10代後半から和歌を雑誌に投稿するようになり、明治34(1901)年に発表した歌集『みだれ髪』で一躍有名に。大ファンだった歌人・与謝野鉄幹の追っかけになり、猛アピールして結婚。人並み外れた行動力で大正期の文学の発展に大きく寄与した。晩年は脳出血により半身不随に。昭和17(1942)年に症状が悪化し、尿毒症を併発して63歳で死去。 歌集『みだれ髪』で有名な大歌人・与謝野晶子は、近代日本の文学界において代表的な女性作家ともいえます。 そんな晶子は、実は「この人!」と思ったら猛烈に追いかけ続ける情熱的な女性でもあります。 20歳のときに惚れ込み、追いかけたのは、当時人気だった歌人・与謝野鉄幹でした。 ● 「推し」の歌人に猛アタック 明治31(1898)年、読売新聞で鉄幹の短歌を知り、晶子は強い憧れを抱きます。現代風にいえば鉄幹は、晶子にとっての「推し」になったわけです。 それから2年後、明治33(1900)年、鉄幹が関西で講演をするという情報を耳にした晶子は、鉄幹に会いに行きます。 鉄幹は関西に11日間滞在したのですが、その間、晶子は5回も会いに行っています。 ● 猛烈なアタックで“不倫略奪婚”に成功 心惹かれてどうしようもなかった鉄幹に会い、生の声を聞いた晶子は、「自分にはもうこの人しかいない」と確信したかのように、猛アタック。 鉄幹の追っかけファンになりましたが、これが実を結び、1年ほどで鉄幹と一緒になるのです。 しかし、鉄幹には妻子がいました。それでもめげずに口説き落とした晶子による“不倫略奪婚”だったのです。 ※本稿は、『ビジネスエリートのための 教養としての文豪』(ダイヤモンド社)より一部を抜粋・編集したものです。
富岡幸一郎