ロシア人はなぜプーチンを支持するのか?元商社マンが見たプーチン誕生後のロシア社会見聞録(上)
ブレジネフ時代が私の人生で一番幸せだった
2001年春。当時筆者が勤務していた商社のモスクワ支店長は、彼の秘書は機転が利いて仕事が早いと評価していた。支店長が仕事の問題点について説明すると、秘書は関係政府機関に片っ端から電話してキーパーソンを見つけ出してアポを取ってくれるという。支店長によると秘書の中年女性は以前KGBで働いていたので政府機関に伝手があるとのことだった。 女性秘書と雑談していたら、彼女の旦那も元KGB職員で電波通信関係の技師だった。ソ連邦時代のKBGはエリート組織で給与・住宅などの待遇もよかったらしい。モスクワ市内の職員アパートは設備が良く快適だったと懐かしんだ。そしてブレジネフ書記長時代(注:1964年~1982年)は経済が安定し生活も豊かだったと回想。 特に1970年代後半のキューバのハバナ駐在時代が最高だったようだ。週末にはハバナ近郊のビーチのソ連邦職員専用クラブで夢のような休日を過ごしたと語った。ちなみに旦那は米国の電波傍受をしていたようだ。 女性秘書は2001年当時のプーチン大統領の精力的な仕事ぶりを大いに評価してプーチンがブレジネフ時代の栄光を再現することを熱望していた。ロシアの世論調査では『尊敬する偉大な政治家・指導者』としてピョートル大帝、スターリン、プーチンと並んで必ずブレジネフが上位に入る。いずれにせよ長期安定政権を担った強権的独裁的政治家がロシア人のお気に入りなのだ。
制服警察官には気をつけろ
2001年から2002年冬頃までは毎回出張するたびに制服警察官のタカリ・強請りにあった。警察官もインフレ下で生活が苦しいのだろう。夕暮れ時に人通りの少ない道を歩いているとどこからともなく警察官が近寄って来てカタコト英語でパスポートを出せという。パスポートを渡すとドル紙幣を握らせるまでパスポートを返してくれないので渋々20~30ドルくらい渡す。 パスポートを持参してなかった時は警察署まで連行すると脅された。相場があるらしく50ドルを要求されたが40ドルで簡便してもらった。昼間でも人通りの少ない道では制服警官が待ち伏せしているので人通りのある道を選んで警察官を避けて歩いていた。