空間コンピューティング時代に訪れる“新たな常識”とは? XRの最前線でプロダクトを開発するMESON・小林佑樹に聞く
東京・恵比寿に拠点を構える企業・MESON(メザン)。空間コンピューティングカンパニーを標榜し、「空間コンピューティングで人々のまなざしを拡げる」というパーパスを掲げて、企画・開発をおこなうXR開発集団である。 【画像】MESON開発のApple Vision Pro向け“天気体感”アプリ『SunnyTune』 同社は2017年の創業以来、XR/ARを中心にさまざまなプロダクトを手がけてきた。そんな中で、発売したのが『Apple Vision Pro』だ。満を持して登場した空間コンピュータ。これまで平面のディスプレイ上で動作するプロダクトを開発してきた多くの企業が、立体空間という特殊な環境における開発ノウハウを持たず苦戦するなか、多くの知見を蓄積してきたMESONには大きな注目が集まっている。 今回は、MESONの創業メンバーであり、現在は同社の代表を務める小林佑樹氏にインタビューを実施。空間コンピューティング時代において主流になるUIや、我々の常識がどのように変化するか、そして日本市場への期待について話を聞いた。 『Apple Vision Pro』発売から半年 評価やこの先のUIの変化について ――まずはMESONがどんなことをしている会社なのかを教えてください。 小林:MESONは主に空間コンピュータ向けのアプリケーションやソフトウェアを開発している会社です。 特に強みとしている点として、ひとつめはユースケース開発があります。『Apple Vision Pro』のような革新的なデバイスが生まれても、多くの人はそれをどうやって使えばいいのか分からないと思います。僕らはそれに対してユースケースを開発して「この技術はこのように使えばいい」と提案ができ、それを実際に企画して形にすることができます。 ふたつめの強みはUXデザインです。ユースケースがいくら素晴らしくても、やはり操作がしづらいとユーザーに継続して使ってもらうことはできないので、新しい技術でもきちんと親しみを持って使ってもらえるようなUXデザイン制作を得意としています。 ――『Apple Vision Pro』の発表から1年、米国での発売からは約半年が経ちました。現時点での率直な評価とは? 小林:いま実現できる空間コンピュータの中では理想像を表現したものだと思います。価格の問題もあり、販売台数が伸び悩んでいる印象ですが、デバイスとしては最高峰のものなので、触ったときに「まさにこれこそが空間コンピュータだ」と思えるものが実現されているという感覚はありました。 Appleがそれをこれからどのように乗り越えていくのか、どんな次の一手を打ってくれるのかというところに注目しています。 ――触ったときに「まさに」と思われた部分について、詳しく伺いたいです。 小林:一番は、視線での操作に対応したことですね。従来、ヘッドマウントディスプレイを操作するときは、コントローラーやハンドトラッキングで操作するのが当たり前だったのですが、『Apple Vision Pro』は視線で操作することを実現しています。 『Apple Vision Pro』を体験したとき、自分が見ている先に操作したい対象があるので、何かを操作するときに目線がカーソルになっていることはすごく自然だと納得したんです。 僕らは今までコントローラーでポインティングすることを当たり前だと思っていたので、視線がカーソルの代わりになるというのは、それまで持っていたバイアスが崩れた瞬間でした。 iPhoneが出てくる以前、ガラケーやBlackBerry時代のたくさんボタンがあるデバイスから、フルスクリーンになったという変化と同じくらい、ユーザー体験におけるブレイクスルーを感じました。 ――iPhoneが世に出てきた当初は、ガラケーの方が便利だと思っていた人も多かったと思うのですが、それと同じようなことが『Apple Vision Pro』でも起こるのかなと予想しています。現在、小林さんが『Apple Vision Pro』に対して感じている不満や改善点はありますか? 小林:2つあるのですが、まず1つは重さですね。僕自身はそんなに気にならないのですが、これから多くの人々に普及すると考えたとき、女性の方がもっと気軽に装着できることも大事だと思っていて。そういう意味で、重さはひとつのネックになりそうだと感じています。 もうひとつは、コンテンツの数です。iPhoneが発売したとき、ガラケーの方が便利だと感じた理由のひとつは、当時自分たちが使い慣れているコンテンツにガラケー専用のものが多かったからだと思うんです。 今の僕らも同じで、スマートフォンやパソコンにデータが入っていて、使い慣れているアプリもあるという状況の中で『Apple Vision Pro』をかぶっても、自分が使いたいツールや体験したいものが中々見つからないというのが現状です。 ただ、これはコンテンツや対応アプリが増えていくことで解消されると思っています。なので、日本で『Apple Vision Pro』が発売されると同時にたくさんアプリが出てきていることはすごくよろこばしいですし、これからコンテンツが増えていくことによって『Apple Vision Pro』を装着して操作する時間を伸ばしていくことができるのではないかと思っています。 ――これまではスマートフォンやパソコンの平面のディスプレイでブラウザなどを見るということが当たり前でしたが、空間コンピューティングになることで最適なUIはどのように変わっていくと予想しますか? 小林:先程お話した通り、空間コンピューティングの時代には視線で操作することが主流になってくると思っています。なので、ユーザーが視線で操作をしたときに、自信を持って「自分は正しい操作をしている」と感じられるUIであるかどうかが大事だと思います。 これはパソコンからスマホに移行したときにも起こっていることで、ユーザーがマウスカーソルを使わなくなったので、ウェブ上からマウスに反応するホバーアニメーションがほぼなくなったんです。 でも、これからはユーザーがそのボタンに対してきちんとその操作ができる――つまり、目でそのボタンを捉え、選択している状態なのかが分かる必要があるので、ホバーアニメーションが復活すると思っています。また、今後は3Dコンテンツも増えていくでしょうね。 ――フラットデザインの時代が終わるのでしょうか。 小林:基本は終わっていくと思いますが、結構グラデーションがあると思っています。iPhoneがリリースされた当時は、立体感のあるデザイン――スキュモーフィズムがテクノロジーの世界では主流派でした。 後々、スマートフォンが進化するにつれてフラットなデザインになっていったのですが、しばらくはそのままだったんですね。iPhoneが出るまではみんなリアルなマテリアルによく触れていましたし、スキュモーフィズムの方がユーザーも慣れていたんです。 でも、スマートフォンに慣れてくる、あるいは普及が進むと、そのデバイスに最適化されたデザインの方が人々に受け入れられやすいので、フラットデザインになっていった。 では『Apple Vision Pro』はどうかというと、今の『Apple Vision Pro』用アプリはSafariなどのように板状のウィンドウが目の前に浮くものが多いんです。これに関しても、スマートフォンやパソコンを使い慣れているユーザーがまだまだ多いので、画面の中で操作できるというデザインがメインになっているからでしょう。 ですが、段々と空間コンピュータというものに世の中の人びとが慣れ親しんでいくと、3Dのデザインを活用したアプリケーションが増えていくのだろうと思っています。スマートフォンのとき同様に、デザイナーも普及率やユーザーの慣れに合わせて設計するでしょうから、すぐにフラットデザインが終わるというよりは、時間をかけて移行していくという形になるのではないでしょうか。 ■本当の意味で、インターネットと繋がった世界になるには ――ユーザーが今後空間コンピュータというものに慣れ親しんでいくうえで、ブレイクスルーのきっかけになるのはどんなことだと思いますか? 小林:最終的に、空間コンピュータはスマートフォンを代替するぐらいにならないといけないと思うんです。ですが、今の『Apple Vision Pro』がスマホを代替できるかというと、それは難しい。何故かというと、この筐体がビデオシースルー型(※)だからです。 これって目の前はディスプレイなので、万が一『Apple Vision Pro』の電源が落ちてしまうと目の前が真っ暗になるんですよね。自宅で座りながら操作しているときであれば外せばいいだけの話ですが、屋外で歩いていたりすると怪我や事故のリスクもある。どれだけこれが小さくなって持ち運びしやすくなったとしても、ビデオシースルー型である以上、メーカーも屋外で使うことは推奨しないと思います。 なので、これから光学シースルー型と呼ばれるメガネ型デバイスの方向に進化していくと、「スマートフォンはいらないね、メガネ型のデバイスだけで生活できるようになったね」という風にブレイクスルーが起きていくと思います。 (※ビデオシースルー型:視野をディスプレイで覆い、カメラで撮影した景色にデジタル情報を重ね合わせる手法。『Meta Quest3』や『Apple Vision Pro』などがビデオシースルー型に分類される。反対に、肉眼で景色をとらえ、透過ディスプレイ上にデジタル情報を表示する手法を光学シースルー型と呼ぶ。『XREAL』などが光学シースルー型に分類される。) ――iPhoneの進化で言うと、『iPhone X』でサイド以外のボタンがなくなりましたよね。例えばiPhoneと同じような変遷で“Apple Vision X”が出たとして、その頃にはどんなデバイスになっていると思いますか? 小林:今お話した通り、光学シースルー型のグラス型デバイスであるということが大事だと思います。それから、人によっては髪型が崩れるなどファッションとの兼ね合いも心配としてあると思うので、頭を締め付けるバンドではなくメガネとしてかけられるようにする必要があるかなと。何度も外したりつけたりしても問題ないということが大事だと思います。 それに、こういうメガネ型のデバイスって、顔に装着するデバイスじゃないですか。なのでデザイン性は“iPhone以上”に求められると思うんです。かけていて自然というか、違和感がないデザインになっていることは大事だなと思いますね。 あとはやはり、バッテリー駆動時間ですね。『Apple Vision Pro』はだいたい2~3時間で電池が切れるくらいなのですが、最低でも今のiPhoneシリーズと同じくらいの駆動時間を実現する必要があると思います。 ――小林さんはnoteで「人々はコンピュータやデジタル情報という存在そのものを認識しなくなる」とおっしゃっていましたが、あらためてMESONがイメージする、空間コンピューティング時代の常識や生活について教えてください。 小林:人々が当たり前に空間コンピュータを使うようになった時代には、自分が見えているものがデジタル情報なのか物理のものなのかというのをあまり認識しない、気にしないような生活になってくるのではないかと思います。 『電脳コイル』じゃないですけれど、電脳ペットを可愛がるとか、目の前にいる人が実はデジタルヒューマンで、それを友達と捉えながら一緒に生活していくとか。デジタルとリアルの境目がどんどん曖昧になっていって、どっちなんだろうというのを気にせずに生活する人たちが増えていくのではないかと思います。 MESONが『SunnyTune』をリリースした際に根底のところで考えていたのは、僕らが今生活空間の中に置いている雑貨や家具も、実は空間コンピューティングを使ってデジタルに置き換えることができるのではないかということです。 自分がリアルで欲しいものはリアルで購入するけれど、デジタルの方が便利だと思うものはデジタルインテリアに置き換えていくという生活になっていくと思っています。たとえばカレンダー、時計もそうですね。パッと見たときに情報が受け取れるものは空間コンピューティングを使ったデジタルインテリアと相性がいいと思います。 ――少し前に話題になったNFTアートなども、空間コンピューティング時代にこそ輝く、相性がいい技術なのではないかと思いますが、こちらはいかがでしょう? 小林:そうですね。AIやNFT、Web3といったここ数年で話題になった技術と空間コンピューティングは、ある種別々の業界に見られているものもありますが、これらはいずれ合流する業界だと思っています。 スマートフォンも、タッチディスプレイであったりGPSの進化であったり、様々な技術の発展が集約されてあの形になっていますから、それと同じようなことが起こると思います。 たとえば『Apple Vision Pro』とAIが組み合わさることで、いつでもAIと対話してコミュニケーションをとれる。そうするとアイトラッキングもせずに、対話をしながらデジタル情報にアクセスすることができるようになるかもしれない。これから空間コンピュータのドメインやAIのドメイン、Web3のドメインの境界があいまいになって、新時代のテクノロジーがひとつの新しい世界を作っていくのではないかと思います。 ■将来の「空間コンピューティング」を担うのは、誰か ――MESONが運営しているコミュニティイベント・ARISE(アライズ)についても聞きたいです。さまざまな分野の人が集まっているとのことですが、どのようなコミュニティなのでしょうか? 小林:ARISEは2019年に最初に発足したコミュニティイベントです。当時、XRや空間コンピューティングが身内だけで盛り上がっていているのを見て、市場の広がりの限界を感じていたんです。もっといろんな人たちが垣根を越えて空間コンピューティングという技術に興味を持つ必要があると考えたのが発足のきっかけでした。 コミュニティの目標としては主に2つあって、業界や業種を超えて、人々が“空間コンピューティングの知”を共有するというのがひとつ。もうひとつは、日本から世界に空間コンピューティングの情報を発信していけるようなものにすることです。 空間コンピューティングの技術に興味を持ってもらえる機会を増やして、クリエイターと企業の方々が交流できる場所を作っていこうと思っています。くわえて、今は国内からの参加者のみで活動しているのですが、今後は海外からの参加者を募ることも考えています。 ――ありがとうございます。日本から世界へ、というお話もありましたが、VRやメタバース領域を始め、日本のクリエイターによる3Dコンテンツは、海外でも評価されている印象があります。 小林:そうですね。日本人は空間コンピューティングや3Dコンテンツとの親和性が高いのだと思います。というのも、やはり日本のSFアニメ、漫画から影響を受けて、その未来に憧れを抱いている人がすごく多いからではないかと。 それから、あと万物に神が宿るみたいな、いわゆるアニミズム的な考えが根づいていることもあるのかなと思っていて。 ――いわゆる“八百万の神様”ですね。 小林:先ほどお話した電脳ペットやデジタルヒューマンの話も、そこに本当に生き物はいないはずなんだけど、生き物の存在を感じながら生活するという意味で、そうした発想、精神性に近いものがあるんだろうなと思っていて。そういう意味でも空間コンピューティング技術は日本人と相性がいい気がしています。 ーーありがとうございます。そうすると、やはり日本の空間コンピューティングは大きな市場になる可能性を秘めているということになりそうですよね。今後、MESONとしてはどのような目標を掲げていらっしゃいますか? 小林:僕らはミッションとして「空間コンピュータを型破りな速度で世界に拡げる」という大きな目標を掲げているのですが、『Apple Vision Pro』あらため、将来の「Vision」シリーズはこれから世界に広がっていくデバイスだと思っているので、たくさんのユースケースを自社、あるいは企業様と連携して一緒に作っていく。ここに力を入れていきたいと思っています。 いまも水面下で様々な企業様と『Apple Vision Pro』の取り組みを進めているのですが、それを世の中に発信しながら『Apple Vision Pro』でこういうことができるんだとか、実際に事業として成り立つんだ、と思ってもらえる事例をどんどん作っていきたいと思っています。 中長期の目標で言うと、空間コンピューティングの市場が広がって盛り上がっていけば、参入してくる企業がどんどん増えていくと思うんです。そうなったとき、今の我々のビジネスモデルではどうしても線形成長しかできないとも思っていて。もっと非線形で成長していくビジネスモデルを生み出していく必要があると思っています。 これは非常に難しいことなのですが、『Apple Vision Pro』の登場によって市場の変化もあると踏んでいるので、そのときはそこにチャレンジできるだろうと考えています。なので、やはり大切なのは自社での新しいビジネスを生み出していくことですね。これは中長期的にやっていく必要があるなと思っています。 僕らは、空間コンピューティングを通して、自分が見慣れた風景や物の捉え方を変えることができると思っています。それが僕らがパーパスで掲げる「まなざしを拡げる」ということです。自分が慣れ親しんだ家や会議室を全然違う空間にすることで、そこでの生き方、暮らし方を変えたり、“実質的”に拡張したりすることができる。今まで慣れ親しんできた、ある種の一元的な物理世界だけでなく、その上にデジタルレイヤーを載せることによって、全然違う世界を見せたり、その人の人生がより広がるようなプロダクト、体験を作っていきたいと思っています。
三沢光汰