テニスのルールやシステム、背景を知っているとより深まる?テニス映画としての『チャレンジャーズ』のおもしろさ
『君の名前で僕を呼んで』(17)のルカ・グァダニーノが監督、「デューン」シリーズのゼンデイヤが主演を務める『チャレンジャーズ』(公開中)。男女3人のプロテニスプレーヤーによる愛憎を、グァダニーノ作品らしい屈折した人物描写、臨場感あるテニスシーンで描いていく。冒頭から因縁ある男子選手が決勝の舞台で相まみえ、白熱する試合内容に見入ってしまうのだが、テニスのルールや大会のシステムを知っていると彼らが置かれている状況もよりクリアに見えてくる。実は本作、テニスについての知識があると、様々な考察ができる作品になっているのだ。 【写真を見る】ゼンデイヤ主演で男女3人のプロテニスプレーヤーの愛憎を描く ■最長試合は11時間5分!テニスのルールや試合方式を解説 まずはテニスの簡単なルールから。テニスは1点を15(フィフティ)と数え、2点=30(サーティ)、3点=40(フォーティ)とポイントを重ね、4点先取すると1ゲームを獲得することができる。ただし、40-40になった場合はデュースとなり、どちらかが2点連続で獲るまでゲームは続く。選手は先にボールを打つサービス側とそれを打ち返すリターン側に分かれ、1ゲームごとにサービスとリターンは交代される。ちなみに、0点は「ラブ」と呼び、0-0は「ラブオール」、相手に1点も与えずに獲得したゲームは「ラブゲーム」になる。 このやり取りを続け、先に6ゲームを獲ると1セットを獲得。ただし、ここでも5-5(ファイブオール)になった場合はどちらかが7ゲーム獲るまで延長され、さらに6-6(シックスオール)になった場合は「タイブレーク」に突入。タイブレークは7点先取のサドンデス方式で、サービスを2回ずつ交互に打ち合って進め、やはり6-6になった際はどちらかが連続で2点先取するまで続けられる。 本稿では、劇中で描かれる男子プロテニス協会(ATP)が運営するATPツアーと男子シングルスに即して説明していくが、1試合あたり3セットマッチ(2セット先取)、後述の四大大会(グランドスラム)になると5セットマッチ(3セット先取)で進行される。基本的にサービス側が有利とされており、選手は自身のサービスゲームをキープ(サービスゲームを獲得)しながら、いかに相手より多くブレイク(リターンゲームを獲得)できるかがゲームのカギになってくる。1試合にかかるプレー時間は1時間半~2時間ほどだが、接戦になった場合には3~5、6時間にわたることも。ちなみに、最長試合は2010年ウィンブルドン1回戦でのジョン・イズナー(アメリカ)対二コラ・マウ(フランス)の11時間5分!共にサービスを得意とする選手同士の試合で、(当時のルールでは)ファイナルセットはタイブレークが行われないためにゲームカウントは70-68まで続き、3日間にわたって試合が行われた。 ■グランドスラムを頂点とするATPツアーのピラミッド型システム 次はATPツアーの大会について。出場選手数の規模や賞金総額によってカテゴリー分けされ、その頂点に位置するのが全豪オープン、全仏オープン、ウィンブルドン(英国)、全米オープンからなるグランドスラム。グランドスラムは2週間にわたって男女シングルス、男女ダブルス、ミックスダブルス、車いすテニス部門、ジュニア部門が行われ、シングルスのドロー数は男女共に128となっている。賞金規模も破格で、例えば先日まで開催されていた全仏オープンの賞金総額は5347万8000ユーロ(89億8430万円)で男女シングルスの優勝者にはそれぞれ240万ユーロ(約4億円)が贈られ、1回戦敗退の選手も7万3000ユーロ(1226万円)を受け取ることができた。 グランドスラムの下には、ATPツアー・マスターズ1000、ATPツアー500、ATPツアー250があり、下へ行くほど年間の大会数も多くピラミッド型に構成されている。さらにその下には、『チャレンジャーズ』に登場する下部大会のチャレンジャー、ITFワールドテニスツアーがある。大会は毎週、世界中で開催されているので、選手は約1年間のスケジュールを組んで各地を遠征。出場した大会の結果に応じて賞金と共にポイントが与えられ、このポイント数によって世界ランキング=ATPランキングが決定する。ポイントは1年間有効であり、選手は1年前のポイントを守りながらよりよい成績を残して加算することで、上位のランキングを目指していく。そして、ピラミッド型の上の大会に出場するには、より多くのポイント=ランキングが必要になる。 グランドスラムの本戦に予選なしで出場するには、だいたい100位前後に位置している必要あり、トップ100がテニス選手にとっての一つの到達目標になっている。ちなみに、大会出場に必要なATPランキングとは別に、ATPレースランキングというものがある。これはシーズンスタートを0ポイントとし、シーズン終了までに獲得したポイントを加算していくものになる。その上位8名はレギュラーシーズン終了後に行われるATPファイナルズ、例えるならボーナスステージのような大会に出場することができ、トップ選手同士のハイレベルなゲームが繰り広げられる。 ■コートサーフェスによるプレースタイルの変化 テニスのおもしろさであり過酷さでもあるのが、コートサーフェスの変化に適応しなければならないこと。グランドスラムを軸にすると、年始はハードコート(アスファルトなど硬めの素材の上にゴム、アクリルでコーティングしたもの)の全豪オープンからスタートし、初夏に行われる全仏はクレーコート、ウィンブルドンは天然芝、そして真夏の全米はハードコートとなっている。 土のクレーコートではボールは高くバウンドする傾向にあり、球足は遅くなる。必然的にラリーが長くなるため、ストロークを得意とするプレーヤーが実力を発揮しやすい。逆に芝のコートではバウンドは滑るように低く、球足も速くなるため、サービスや強打が武器の攻撃的な選手に有利。現在、全仏とウィンブルドンの間には3週間ほどしかなく、選手たちは短い期間で真逆のサーフェスでのプレーに対応しなければならないのだ。 ■引退間近のベテラン選手が最後の大舞台に臨む『ウィンブルドン』 こうしたテニスに関する基本情報を頭に入れておくと、テニスを題材にした映画の見方も深まってくる。例えば、ポール・ベタニー&キルスティン・ダンスト共演の『ウィンブルドン』(04)。ベタニー演じるイギリス人テニス選手のピーター・コルトはかつて世界ランキング11位を記録するほどの選手だったが、年齢的な衰えもあり119位まで後退している。ワイルドカード(主催者推薦枠)をもらったウィンブルドンでの引退を決めていたが、ダンスト演じる女子の優勝候補、リジー・ブラッドベリー(時期的にシャラポワがモデル!?)と出会ったことで予想外の活躍を見せていく。 冒頭、クレーコートの大会で若手選手にボコボコにされるピーターだが、ウィンブルドン1回戦では別の若手選手になんとか勝利。さらに2回戦では、全仏オープン優勝者相手に敗退しそうになるも奮起してフルセットで破っている。映画的な演出と捉えるのが普通だが、芝のコートを不得意とするクレーコートのスペシャリストは少なくなく、全仏2連覇を達成したセルジ・ブルゲラ(スペイン)、世界ランキング1位経験者のトーマス・ムスター(オーストリア)もウィンブルドンを苦手にしていた。引退間近とはいえ、勢いに乗ったピーターが格上の全仏チャンピオンに勝利したとしても不思議なことではないのだ。 ■テニス史に残る世紀の名勝負を映像化した『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』 コートサーフェスによるプレーの違いを説明したが、選手それぞれの個性もテニスの魅力。テニスには、サービスを打った勢いでネットに詰めてボレーで勝負するクラシックなサーブ&ボレーヤー、サービスエースを量産するビッグサーバー、ベースラインでの打ち合いでチャンスをねらうストローカーなど様々なプレースタイル、戦術がある。異なるスタイルの選手がぶつかり合い、ライバルとなって数々の名勝負を繰り広げることもあり、それを映画化したのが『ボルグ/マッケンロー 氷の男と炎の男』(17)だ。主人公はテニスの黄金時代を築いたビヨン・ボルグ(スウェーデン)とジョン・マッケンロー(アメリア)で、2人が対決した1980年のウィンブルドン決勝戦を映像化している。 ボルグはストロークを主軸としたプレースタイル。しかも、当時としては珍しいトップスピンをかけてネットの高い位置を通し、相手コートの後方をねらう正確無比なストロークでじわじわとプレッシャーをかけていく。対するマッケンローは、左利きから繰りだす独特のキレ味鋭いサービスでネットに詰め、天性の手首(リスト)の柔らかさで自在に相手のいないところへボールを落とす天才的なサーブ&ボレーヤー。また、冷静沈着で紳士的なボルグに対し、マッケンローは感情表現豊かで怒りのままに審判にも噛みついてしまうなどキャラクターも正反対だった。両者は映画の翌年、1981年の同大会決勝でも対戦し、今度はマッケンローが勝利。83年にはボルグが26歳の若さで引退したため、2人が直接対決した期間は短いが、テニスのエンターテインメント性を押し上げ、後世の選手たちにも大きな影響を与えた。 ■下部大会「チャレンジャー」に出場することになったグランドスラムチャンピオン 最新のテニス映画『チャレンジャーズ』の舞台は2019年。現実では、ロジャー・フェデラー(スイス)、ラファエル・ナダル(スペイン)、ノバク・ジョコビッチ(セルビア)、アンディ・マレー(英国)の通称“BIG4”が2010年代を席巻するなかで、2017年のシーズン中盤にマレーがケガで戦線離脱し、アレクサンダー・ズべレフ(ドイツ)、ダニール・メドベージェフ(ロシア)、アンドレイ・ルブレフ(ロシア)、ステファノス・チチパス(ギリシャ)ら1990年代半ば~2000年にかけて生まれた“Next Gen(ネクスト ジェン)”と呼ばれる新世代が台頭してきた時期だ(現在は、2001年生まれのイタリア人選手ヤニック・シナー、2003年生まれのスペイン人選手カルロス・アルカラスらさらに若い世代がグランドスラム優勝や世界ランキング1位を達成している)。 妻でありコーチでもあるタシ・ダンカン(ゼンデイヤ)に導かれ、6回のグランドスラム優勝(全豪、全仏、ウィンブルドンをそれぞれ2回)を果たしたアート・ドナルドソン(マイク・フェイスト)は、残りの全米オープンを優勝すれば四大大会すべてを制する「生涯グランドスラム」を手にすることができる。しかし、現在はケガによる手術の影響で低迷しており、本番を控えた前哨戦に出場するも若手選手に一方的に敗れてしまう。それを見かねたタシは、マスターズ1000のシンシナティ・オープンをスキップし、下部大会のチャレンジャーにエントリーすることをアートに勧める。 実際にはフェデラー、ナダルが本格化した2000年代半ば以降はBIG4がほとんどのグランドスラムで優勝しており、そもそも一度優勝するだけでも偉業と言われるので6回も優勝しているアートはかなりの名選手と言える。そんな彼が冒頭で参戦していた大会は、イズナー、マーディ・フィッシュ(アメリカ)といった過去の優勝者ポスターが確認できることから推測するに、7月末~8月頭に開催されるアトランタ・オープン(ATP250)だと仮定できる。この時期は全米オープンに向けて、アメリカ、カナダの北米を中心に、ナショナル・バンク・オープン(マスターズ1000)、ムバダラ・シティ・DC・オープン(ATP500)といった重要なハードコートの大会が開催され、アトランタ・オープンはこのいわゆる“全米オープンシリーズ”の開幕戦という位置づけだ。 その試金石的な大会で初戦敗退しただけでなく、感情のコントロールを失って自ら崩れていったという試合内容にタシが不安を覚えたのも理解できる。ただ、ランキングの上位30の選手にはマスターズ1000の出場義務があるため、それを2大会もスキップする選択には疑問も。単純にアートがそのランキング外の選手だったのかもしれないが、全米オープン優勝をねらうならトップ10付近には位置していたいところだ。 重要な大会をスキップしてアートが出現するチャレンジャー。だいたい50~100位前後、200、300位の選手も出場する下部大会ではあるが、ケガなどで一時的にランキングを落としている元トップ選手、上昇志向の強い若手、試合数をこなして調子を上げたいランキング上位者など実力者が数多くひしめき合うカテゴリーでもある。近年では、ケガでツアーを長期離脱していた錦織圭が、プエルトリコで開催された2023年のカリビアンオープンで復帰早々に優勝したことも記憶に新しい。日本では現在、慶應義塾大学日吉キャンパスで行われる横浜慶應チャレンジャー国際テニストーナメントなど4大会が開催されている。 ■下部大会をメインに回る選手の苦労も描く チャレンジャーの決勝に勝ち上がったアートと相対するのが、彼と因縁のあるパトリック・ズワイグ(ジョシュ・オコナー)だ。パトリックの世界ランキングは200位台で、自家用車を運転しながら下部大会を回っている。現金の持ち合わせはなくクレジットカードも限度額に達しているようで、ホテルの部屋を借りられず、車で寝泊まりしていた。また、賞金は優勝するか敗退するまでは支払われないようで、生活のために早いラウンドで敗退しては少ない賞金を手にしてきたことも示唆されている。 パトリックの状況はかなり極端だと思われるが、それでも多くのスポンサーを抱え、一流ホテルに宿泊し、フィットネストレーナーなどのスタッフも帯同させているアートとの落差が印象的だ。実は2人は、かつて同じアカデミーで学んだ幼なじみであり、2006年の全米オープンジュニアのダブルス部門でペアを組んで優勝。シングルスの決勝でも対戦し、この時はパトリックが勝利していた。その後、パトリックはプロの道へ進み、アートは大学テニスで技術を磨くことに。ジュニア時代に優秀な成績を残すことはプロを目指すうえでも重要だが、必ずしも有望なジュニアがそのままプロの世界でも成功を掴むとは断言できない。そういったテニスの厳しさが、本作でもしっかりと描かれている。 ■コントロール重視のオールラウンドプレーヤー、アート・ドナルドソン 最後に、劇中で確認できる情報からアートとパトリックのテニスプレーヤーとしてのキャラクターを考察してみたい。プレー中のアートを見て、日本の観客は彼がユニクロのウェアを着ていることに注目するはず。パラリンピックで計4個の金メダルを獲得、生涯ゴールデンスラムも達成した車いすテニスのレジェンド、国枝慎吾とスポンサー契約を結んだことに始まり、錦織圭、ジョコビッチ、フェデラーといった名選手がユニクロのウェアを着用してきた。アートもまた、彼らと並ぶほどのスター選手であると言えるだろう。 使用しているラケットはウイルソン社の「ブレード」シリーズ。スイングした際のしなりやクリアな打感が特徴で、おもにコントロールを重視するプレーヤーのラケットとされている。劇中でも、ベースラインからのハードヒットで攻めつつ、チャンスを見つけてネットに詰めるオールラウンドなプレーをしていた。ただ、ジュニア時代はバボラ社の「ピュアドライブ」シリーズを使用していた模様。こちらはパワーアシストに特化した強打者のラケットであり、タシの助言があったのか(選手時代のタシが使用していたのもウイルソンのラケットだった)、メーカーだけでなく求める性能の変化も気になるところだ。 また、バックハンドは近年減少傾向にある片手打ち(シングルバックハンド)で、スライス(逆回転)でラリーのリズムに変化を加えたり、ドロップショットでネット際にボールを落としたりする技巧派な印象も受ける。シングルバックハンドは両手打ち(ダブルバックハンド)に比べて習得が難しいと言われているが、アートを演じるマイク・フェイストのフォームに違和感はなかった。 ■個性派テニスを貫くパトリック・ズワイグ 一方、パトリックが使用しているラケットはヘッド社の「ラジカル」シリーズ。アメリカの名選手、アンドレ・アガシも使用したシリーズの後継機で、性能をあえて説明するなら万能型。ボールを飛ばす反発力、回転をかけるスピン、コントロールも高いレベルでカバーしてくれる。しっかり回転をかけながら強打したいプレーヤーに合うラケットと言え、劇中でのパトリックのプレーにもそれが見てとれる。 パトリックのプレーで最も特徴的なのは、劇中でも重要なフックとなるサービスのフォーム。基本的に運動連鎖のなかでボールを打つことで、より大きなパワーを生みだすことができるとされている。そのため、アートのように体の正面で構えたラケットを振り子のように後ろへ回し、肩の辺りで担ぐようにラケットを立てた状態でセット。それと同時に、弓の弦を張るように体を反らせ、トスしたボールを体の反動を使って打ちに行くフォームが主流となっている。 しかしパトリックの場合、いきなりラケットを担いでセットするところからスタートし、運動連鎖を使わずにトスしたボールを打ちに行くスタイルになっている。たしかに、一般レベルであれば複雑な動きになるとミスしやすくなるため、パトリックのようにシンプルなフォームでサービスを打つほうがより再現性は高くなるだろう。とはいえ、プロではあまり見ない打ち方なので、我流でツアーを回ってきた彼らしいフォームと言えるかもしれない。 今年も7月1日(月)からウィンブルドン、8月26日(月)からは全米オープン、日本でも木下グループジャパンオープンテニスチャンピオンシップス2024が9月25日(水)から東京の有明で開催される。『チャレンジャーズ』を機にテニス観戦をしてみてはいかがだろうか? 文/平尾嘉浩