全豪オープン初日に起きた阪神大震災 途方に暮れる沢松奈生子さんが我に返った叔母の一言
《平成7年1月17日、オーストラリア・メルボルンでテニスの全豪オープン初日の朝を迎えた。この日午前5時46分(現地時間7時46分)、近畿地方を阪神大震災が襲った》 ホテルの内線電話が鳴りました。コーチが「今すぐCNN(米国のニュース専門放送局)をつけろ」と言います。テレビの映像に衝撃を受けました。阪神高速が崩壊し、道路から大型バスが落ちそうになっています。地元で起きたことだと理解するのにしばらく時間がかかりました。 兵庫県西宮市の実家に何度電話をかけてもつながりません。家族全員亡くなったのではと恐怖が襲ってきました。 千葉県に住む叔母とやっと電話がつながり、「家は全壊。家族は無事」と知らされました。家が全壊して誰一人無傷なんてありえない。大事な試合の前にショックを与えないよう噓をついていると思いました。「無事というなら証拠を見せて」と泣き叫びました。 叔母は厳しい言葉を投げつけました。「プロ選手の道を選んだなら、親の死に目に会えないくらいの覚悟を決めているはず。そんなに言うなら太平洋を泳いで帰ってきなさい」。われに返り、出場を決心しました。 《その日の試合は雨で順延となり、翌日、1回戦に出場した》 寝ていないし、食べていないし、試合ができるような状態ではありませんでした。しかし、なぜか普段なら絶対に取れないだろうボールに届く。後ろから誰かに押し出されているような感じがありました。「がんばれ」と被災した方たちの声援が観客席の声よりも大きく聞こえてくる気がする。とても不思議な体験でした。 《その大会でベスト8に進出。過去最高の成績だった》 ツアーが終わり、実家に帰りました。落ちてきた天井がはりで止まり、両親は助かっていました。それでも全壊した家、変わり果てた街の風景はまるで映画を見ているような感じで、気持ちの整理がつくのに10年以上かかりました。 《昨年1月、能登半島が大きな地震被害に遭った》 毎日生きるだけで精いっぱいだったのが、1年たって将来のことを考える余裕が生まれるころ。失ったものの大きさを実感し、なぜ自分たちだけがこんなに苦しい思いをしなければならないのか、孤立感を深める時期ではないでしょうか。