【宮崎祐樹連載#10】1キロのバットに重りを付けて打ち続け握力がなくなると…
【宮崎祐樹連載 オリのゴリBsを知り過ぎた男(10)】セガサミー野球部に入部して1年目で3番・中堅としてレギュラーをつかむことができました。亜細亜大学時代の厳しすぎる練習が功を奏し、社会人野球での体力向上メニュー、技術向上メニューにも耐えうることができる僕がいました。 春のキャンプの時には毎日、ティー打撃を1200球連続で打つんです。しかも、1キロのバットに重りで900グラムのバットリングをつけてです。その間にマシンで20分何セットとか連続で「ボン、ボン、ボン」みたいなペースで打つわけです。 そうするとスパイクで地面が削れて足首まで埋まってしまいます。バットの重量もリングと合わせて2キロ近いわけで、握力がなくなってバットが握れなくなってきます。これはもう無理っす。バットを握っている手をバットから離すことすらできない状態です。 そんな様子を目にした佐々木監督に「そうか無理か。そやな無理やんな」と言われて、練習ストップかと思っていると手をテーピングでぐるぐる巻きにされてしまいました。「これで手ぇ離れへんやろ」ってマジかよ、この人って思ってしまいましたね。 南海、ダイエーで佐々木さんが下積みしていた時代、名球会の大打者に指導をされたそうです。170センチと小柄な体からフルスイングでともにNPB歴代3位の567本塁打、1678打点ですよ。40代でパ・リーグの本塁打王を経験され「不惑の大砲」との異名を取った門田博光さんに徹底的に鍛えられたそうです。 門田さんは普段から試合でも1キロのバットを使っていたそうです。それを持った若かりし佐々木さんは衝撃を受けたそうです。「あの頃は門田のおっさんに鍛えられたわ」と言いながら、佐々木さんも監督なのになぜか筋トレを繰り返していましたね。 セガサミーの練習に話題を戻します。先ほどの1キロのバットに900グラムのリングをつけてスイングするのですが、実はティー打撃で打つボール自体も重量のあるトレーニングボールだったんです。それを僕たちは「Mボール」と名付けていました。 佐々木誠監督のマコトとドMの「M」を掛け合わせて命名しました。そのボールを打つの本当にしんどいんですよ。でも、僕は亜細亜大時代の厳しすぎる練習の体力貯金があったから耐えられたんです。そしたら少し技術も伴いました。 若い時にはやらされる練習も必要だと思います。なんならやらなきゃいけないと思っています。何かの記事でソフトバンクの山川穂高が「量をこなすから質が見えてくる」という言葉を残していました。その「質」という言葉の意味は「コツ」だと思うんです。僕の中では。こうやったらヘッドが立つな、こうすればボールに負けないなとか、新たな世界は量をこなさないと絶対に見えてこないと思うんです。 大学時代には監督の横でベンチ目線で野球を知ることができました。社会人野球に入って体力という土台の上に猛練習と技術、試合出場という経験を積みました。すると社会人2年目に結果という糧をつかむことになります。
宮崎祐樹