『新宿野戦病院』想像を超える宮藤官九郎の脚本力 終盤はチャレンジングな展開に?
8月28日に放送された『新宿野戦病院』(フジテレビ系)は第9話。今週もまた終盤の展開に驚かされることになったわけだが、それについては後述するとしよう。亨(仲野太賀)と舞(橋本愛)、そして勇太(濱田岳)が繰り広げてきた、三角関係のようでそうでもないような不可思議な関係に対し、舞の「好きなお巡りさんがいるの」という言葉でひとつの結論が導き出されたり、ヨウコ(小池栄子)がついに日本の医師免許を取得したりと、いよいよこのドラマも終盤へと近付くムードが漂いはじめてきている。 【写真】ソファに座る舞(橋本愛)と勇太(濱田岳) ラブホテルの一室で目を覚ました勇太。部屋には舞の「Not Alone」の制服だけが残されており、前夜の記憶がない勇太は慌てて歌舞伎町の街を駆け抜ける。そんなオープニングを経て、この後のシーンで2人はいつもの中華屋で食事をしながら会話をするのだが、「前にもあったね、こういうくだり」の一言で一段階目の回想に入り、そのなかでも同じセリフで二段階目の回想に入り、元の時間軸へと引き戻されるという巧妙かつ秀逸な回想テクニックが繰り出される。 この時点での最大のミステリーにあたるラブホテルでの出来事だとすぐにわかる一段階目の回想を素通りし、改めて引き戻されたところで再びそこへ行く、つまり“二度見”というリアクションを会話と記憶に置き換えたようなシュールな掛け合いを成立させるのだ。宮藤官九郎はこうした“酔って記憶をなくした”『ハングオーバー!』的シチュエーションを、昨年の『ゆとりですがなにか インターナショナル』でも取り入れていたが、切り口も扱い方もまるで異なっている。 むしろこのラブホテルでの一連の主眼となるのは、2人が『バッファロー‘66』のモーテルのシーンについて話すところではないだろうか。その様子を映すショットは、まさしく同作のモーテルのシーンを再現するかのようなベッドの俯瞰。ただし立ち位置(寝位置というべきか)やバスルームに行くヴィンセント・ギャロの役割りを舞が担い、クリスティーナ・リッチの役割りを勇太が担う。反発し合いながらも惹かれるようになった2人の関係性が同作のカップルと重なるというのは飛躍した解釈になってしまうが、それでもどことなく、舞のほうにまだ“危なっかしさ”があることを暗示しているようにも思えてしまう。 さて、エピソードのメインとなる部分もまた、複数の回想シーンを並べるテクニックで構成されていく。聖まごころ病院の面々(+舞と勇太、そしてアメリカのケーブルテレビの取材陣)が集まり、休診日で急患も来ないからと普段はやらないカンファレンスをやろうと、ここ数日の夜間に運ばれてきた患者の情報共有を行うドクターたち。元看護師という“カスハラ”保護者に、自らの陰茎を切断してしまう女性用風俗店のセラピスト、自殺未遂を図って運ばれてきたら、亨により不幸な身の上話を聞かされることになる若い女性。 それぞれの役柄を演じているのが佐津川愛美と浜中文一、駒井蓮というゲストキャストの豪華さも見逃せない部分ではあるが、“カスハラ”のくだりは聖まごころ病院のハートウォーミングで信頼できる者たちばかりが集まっているという空気感を、陰茎切断のくだりはヨウコの腕によって救急病院としての処置の適切さを、自殺未遂のくだりは先述の三角関係のエピローグ的役割としてそれぞれ効果的にはたらいている。これがシンプルな病院群像劇であれば、和気あいあいとした飲み会のシーンでそのまま幕を下ろすという選択肢もあったのだろう。 しかしそうはならないのが宮藤官九郎ドラマの油断ならないところ。いきなり物語に不穏な空気が立ちこめたまま2025年へと移行し、突如として異物のように侵入してくる“新型ウイルス”の気配。現実の新型コロナウイルスによるパンデミックを経験したことで、ここ数年の医療関係のドラマでは外せないテーマとなったパンデミックが、よりにもよって新型コロナを乗り越えた先にある世界線の物語上で、また新たなウイルスによって再び引き起こされるとは誰が想像できようか。あのコロナ流行期に真っ先に感染源として槍玉に挙げられたのが“夜の街”であり、歌舞伎町であった。これはとんでもなくチャレンジングな終盤がやってくるに違いない。
久保田和馬