「カスハラ」連発の今の日本は「優しい国」じゃない…海外の人が抱いている「正直な感想」
日本人が「不親切な人々」になってしまう理由
たとえば、マレーシアでは大衆食堂で食事中に、移民や障碍者などの物売りが来ることがあるが、食事中の客がわざわざ手を止め、お菓子屋や雑貨を買ってあげる光景をよく見る。 貧しい人にお弁当を無料配布するボランティアなども多いし、最近は政府の働きかけで、大手の飲食チェーン店で貧困層に向けた激安セットメニュー(1食5リンギ=約150円以下)も出た。高齢者と歩くと、かなりの頻度で配慮され、日常的にも「これ日本だったら、もっと事務的だろうな」と思う場面は少なくない。 逆に日本人は、人助けをあまり必要としないぐらい安定した社会にいると感じている、ということかもしれない。実際、マレーシアほか、米英、タイ、韓国、メキシコ、インド、計7カ国の友人に「日本の低ランク」について聞いてみても、一様に「なぜ?」と驚かれた。一般的に「日本人は冷たい人々」という印象は持たれてはいないからだ。 「コンビニでは店員が笑顔だし、日本旅行したときは、みんな親切な人々だと思った」(アメリカ人男性・38) 「学生時代、バイト先で日本語を間違ってばかりだったのに、同僚がみんな優しかった」(マレーシア人女性・29) 友人たちから出るのは、日本の誉め言葉ばかりで、一般的にも日本は旅行先として、かなり人気が高い。そのとおり日本には「親切な人」はたくさんいるが、それを感じにくいのは、理由があると思う。文化的に内向的で、人見知りが多い。旅行中に地図を見ていて「お困りですか」と聞かれたことは、海外のほうが圧倒多数。 また、日本は社会主義的に、集団の調和を重視する傾向が強く、個人の問題に対する配慮が後回しになりやすい。以前、電車やバスでのベビーカーを邪魔だとする人々が結構いるという話があったが、ベビーカーを押す母親の大変さより、その場にいる人々への配慮を優先して考えた意見がたくさん見られた。 ほかにも、多忙な日常生活と経済的なプレッシャーから他者を気にする余裕がないという傾向もあると感じるが、日本が「世界人助けランキング」で低評価となってしまうのは、イコール日本人が優しくないのではなく、文化や習慣から、他者にそう感じさせやすい、ということにも見える。 カスハラ問題は、そうした背景をベースに、さらに「お客様は神様です」という顧客至上主義の文化や、人々の社会ストレス増加、SNSの普及でクレームによる企業に対する圧力が強まったことなどの要因もある。パワハラやセクハラは法律で禁止されていても、カスハラの場合、客側の主張自体は正しいケースもあるから、法的な規制が難しいのも対応が遅れる理由だ。 そして、カスハラと同じく、ネット上でときどき見かける、何かミスや問題を起こした人に対して、大勢で批判を集中させる「炎上」現象を見ると、「攻撃的な人」を許容しやすい性質もありそうだ。 そういう意味では、法的な規制で食い止めるよりも、典型的な日本人ではない人がもっと日本に増えて、中和されたほうがより多くの人が快適になるのでは、とも思えてしまう。
片岡 亮(フリージャーナリスト)