学歴差別ない軍隊に見た“疑似デモクラシー” 清張「百済の草」と「走路」
自らの軍隊体験を事実に近い形で盛り込む
第四話の「走路」は「百済の草」の物語と連続するものとなっていて、主計大尉や物産会社の技師長、さらに「二号」に風呂屋を経営させている男性たちと伊原寿子とが、敗戦直前に朝鮮半島から脱出しようとする話になっている。やはり寿子は大胆なところのある女性だったのであるが、「走路」では金と美しい寿子をめぐって男たちが争うという、清張らしい物語が展開されている。 「百済の草」や「走路」には清張が朝鮮での軍隊体験で実際に見聞した人物像やエピソードが、少し変形を加えられながらも、かなりの程度において事実に近い形で盛り込まれていて、そのことは『半生の記』と読み合わせてみるとよくわかる。 さて、松本清張は後の『昭和史発掘』の「二・二六事件」などで、旧日本軍の特質というものを鋭く精確に剔抉(てっけつ)したが、その作業の情熱は彼自身の軍隊での実体験に基づくものであったと考えられる。それは、なぜ旧日本軍のような歪(いびつ)で危険な組織が形成されたのかという問題を追究する作業であった。 (ノートルダム清心女子大学文学部・教授・綾目広治)