レバノン映画『判決、ふたつの希望』が世界中で大ヒットの“ふたつの理由”
レバノンの内戦はネガティブな体験だが、ポジティブなインパクトも与えてくれた
―――同作の中にも登場するレバノンの内戦ですが、少年期に実際に体験されたそうですね。その経験がその後の生き方や映画づくりに影響を与えているとは思いますか? ドゥエイリ監督:そうですね。いまやっぱり「自分がだれであるか」という根源的なところに、内戦を経験したことが関わっていると思います。自己心理分析はちょっと難しいです。でもやっぱりストーリーテラーとしての自分がいまここにいるというのは、内戦の経験があるからかもしれません。内戦はネガティブな経験でしたが、ポジティブなインパクトも与えてくれました。そのあと僕は19歳で米国に渡りました。そこでキャリアも成功させたし、米国社会の中の一員になったし。米国で映画の勉強をした影響で、僕の作品はどこか米国的な雰囲気があるんじゃないかと思います。じつは今回、法廷ものを初めて撮ったんですよね。それもその影響かなと思います。米国ほど、法廷ものが得意な国はないですから。いまはフランスに住んでいるんですけれども、どこに行ってもそれぞれの文化を比べているような自分がいます。
―――そもそもなぜ、映画監督になりたいと思ったのでしょうか? ドゥエイリ監督:これはじつは苦手な質問です。はっきりとこれって言えないから。子どものときからなりたいとは思っていたんですが、それがいつからか、っていうのは思い出せないんですよね。ずっと前から自分の中にあったと思うのですが。言い換えればそれはストーリーテリングをしたいということ。もともと分かちあうことが好きでしたから。映画って考えてみたらストーリーを分かちあうものでもありますよね。だから好きなのかな。人間というものはそもそもお話が好きであるから。きょう、10歳の誕生日を迎えた娘がいます。彼女が2歳くらいのときから、オリジナルやフィクションの物語を読み聞かせています。そうすると娘が催眠術にでもかかったかのようにじっくりと聞き入ってしまうのです。結局、人間と物語ってそんなものなんじゃないかな。なにかミステリーであったり、なにかワクワクする物語であったり。だってみんな、物語が最後どうなるか気になって読みすすめていきますよね。なのでそんな物語に惹かれる気持ち、さらにそれをシェアしたいという気持ちが自分の中に奥深く最初からあったのかなと思います。