川の真ん中に佇む"謎の集落" 水門に挟まれた岡山県の集落の歴史を紐解く旅
全国の道に特化したバラエティ番組『道との遭遇』では、道マニアがイチオシの道をご紹介。今回は、岡山県にある"川の真ん中に佇む謎の集落"を調査しました。(この記事では道情報だけをまとめてご紹介します) 【動画】一体なぜ?川の真ん中に民家がある驚きの理由は【3分2秒~】
なぜこうなった?川の上にある集落の謎
岡山県東区の瀬戸内海側にある水門町に、「川の真ん中に集落がある、すごく変わった場所がある。川を渡る道路も公道で、標識も設置されている」と道マニア。 その場所は道マニアが航空写真で偶然見つけ、実際に現地へ出向いてその町の歴史を調査したこともあるそう。地図で確認すると川の真ん中に道が通り、そこに数軒の民家が存在。その姿は、まるで中洲のよう。浮かぶ小島に民家が建っている景観をしています。 東岸から川の上の集落へ向かうと、まずは水門がお出迎え。橋を渡ると、川の上の集落には立派なお屋敷や蔵があり、厳かな雰囲気が漂う中にも生活感があります。
水門に挟まれた集落の歴史とは
集落を抜けると西岸側にも水門があり、銘板に「大水門橋」と書かれた橋が架かっています。 「水門だけ見たら最近のイメージがあるが、実は何代も付け替えられている。ここに水門を造ったことによって、干拓(かんたく)ができた」と道マニア。 海中に堤防を造り、潮の満ち引きを利用して排水したことで陸地にしたこの干拓を利用し、「大地主がここに住んで、水門を管理していた」と言います。 今から340年ほど前の江戸時代、新田開発に力を注いでいた岡山藩主の池田光政(いけだみつまさ)が両岸の干拓に着手。 陸地ができたあと、海水の逆流を防ぐためにここに水門を建設し、その際に土地を造り、管理する人間が住むことになったそう。 今ある水門は昭和に造りかえられたもので、現在は岡山県が管理して住民の生活を守っています。 この集落に一番古くから住んでおり、水門を管理してきたという方の話によると、水運が盛んだった明治時代まではこの場所から船を使って移動したり物を運んでいたそう。その後、車社会が発展していき、集落を抜ける道も昭和40年代に拡幅工事が行われ、今の広さになったとのことです。 10月15日(火)午後11時56分放送 CBCテレビ「道との遭遇」より
CBCテレビ