Apple社員番号1番の男、野外フェスでポケットマネー約60億円を損失「お金は失ったけどそんなことはたいした問題じゃない」というワケとは
1982年と83年に開催された伝説の巨大野外フェス『US FESTIVAL』。当時、史上最大規模といわれたこのコンサートの開催には、あの超有名IT企業の男が関わっていた。 【画像】ジョブズじゃない!?︎ Apple社の社員番号1の男
車で聞いていたラジオからフェス開催を思いつく
もし自分の好きな音楽のアーティストだけを集めて、大規模なライブやコンサートを開けたなら。 会話レベルでも十分楽しそうな妄想だけど、もしそんな夢のようなことを自らの私財を投げ打って本当に実現してしまったら? それはとてつもなくクレイジーで、とんでもなく素敵なことだ。 そのクレイジーな男の名は、スティーヴ・ウォズニアック。 世界中の誰もが知っているApple社の設立メンバーであり(社員番号1番)、1977年のスタート当初から故スティーヴ・ジョブズ(社員番号2番)のよき相棒として、同社の知的良心を担ったエンジニア。 技術力の高さと温厚でユーモア溢れる性格から、有名なお伽噺にちなんで「ウォズの魔法使い」と呼ばれる。 始まりは1981年。前年のApple社の株式公開で1億ドル以上(当時のレートで約200億円以上)にも及ぶ莫大な資産を得ていた30歳のウォズニアック(以下ウォズ)は、車の中でよく聴いていたラジオ局のカントリー音楽がきっかけで、大規模なコンサート開催を企てることを思いつく。 「巨大なパーティにしたかった。みんなで楽しむために……名もない場所で最高のコンサートをやりたくなって」 しかし、エンターテインメントや興行のノウハウを持たないウォズは、「どうやって進めるか最低限のことさえまったく分からなかった」ので、まずはコネのある仲間に相談することにした。 それはピート・エリスをはじめとした協力者の賛同を得ながら、「何が何でも実現させる」という情熱へと変わっていく。このアイデアを気に入ってくれた結婚したばかりの妻には「お金も儲かるから」とつけくわえた。
「あんなことはもう二度とごめんだ」
フェスの運営会社を設立するため、準備金として200万ドルの小切手を仲間に手渡した2週間後。ウォズは1969年に開催された伝説的なウッドストック・フェスティバルに関する本を開いてみた。 そこにはスタッフの確保、数十万人を収容する必要がある広大な場所探し、気まぐれなアーティストサイドとの交渉、面倒な広報の件。さらには想像以上の費用が掛かること、そして絶対的に儲からない件……のちにウォズ自身が直面することになる出来事が書きつらねてあった。 ページをめくるにつれ、自分が今どれだけ大変なことに手を出してしまったか、思わず息をのんで後悔したという。 しかも助けを求めた当時の関係者からは、「あんなことはもう二度とごめんだ」と断られる始末。一人で好きなようにできるコンピュータの設計世界との違いを痛感した。 「あの本を先に読んでいたら、あんなことは絶対にやろうとは思わなかった(笑)。でも僕らは何とかやり遂げた。お金は僕が出した。僕は仲間を信じていた。やるって決めんたんだ。いったんやるって言ったら放り出しちゃいけない。逃げたりしない」 こうしたウォズの粘り強いエンジニアとしての美学に助けられながら、大物プロモーターのビル・グラハムも巻き込んで史上最大規模のロックフェスとなった『US FESTIVAL』(アース・フェスティバル)は、カリフォルニア州サンバーナーディーノの広大な面積を誇る郡立公園を会場にして開催された(1982年9月と1983年5月末~の2回)。