多くの謎が残る無人島『蛇島』ガソリン貯蔵庫に使われていたトンネル...なぜここに?何のために? 観光資源としての可能性を探る「蛇島という戦争遺跡をみんなで知っていくのも一つの方法」
(森本晁生さん)「(大根の)種子代が青年会の資金になって、ほとんどが旅行でしたけど、年1回。城崎やら伊勢やらいろいろ行きましたよ、毎年」 10年ほど採種のために島で大根を育てていました。しかし、その後は国有地となり蛇島に立ち入ることはできなくなってしまいました。 (森本晁生さん)「いいところですよ。行ったらゆっくりできるし。あそこには大きなクスノキがあるんですが、その下に入ったりして。(Qいっぱい思い出ありますね?)ありますよ、ようけ。私はずっと木の上ばっかりにおった」
「まだまだわからないことが多い。みんなで知っていくのも一つの方法」
実は蛇島にはガソリン庫のほかにも用途がわからない遺構が多く残されたままになっています。 (毛利聡准教授)「ここはガソリン庫のタイミングで作られたかどうかはわからないんですけれど、おそらく防空壕的な穴かと。終戦間際に掘られたとしても70年以上たっている。崩れていないのでそんなに状態は悪くないでしょう」 ほかにも、置き去りになったままの筒状のコンクリートや、大きな鉄製のタンクがありますが、何に使われていたかはわかっていません。 (毛利聡准教授)「ただ廃墟を見ただけで終わるのはとてももったいないことですし。我々も面白がりながら、いろいろなことがわかっていくにつれて、調査をしているんです。蛇島という戦争遺跡があることを知って、まだまだわかっていないことが多いというのも踏まえたうえで、みんなで知っていくのも一つの方法じゃないのかなと考えています」 明治時代から軍港として栄えてきた舞鶴市で長年、人が立ち入らずに忘れ去られていた蛇島。その眠りから目覚める日は近いのかもしれません。 (2024年3月5日放送 MBSテレビ「よんチャンTV」内『特集』より)