過去最高の失業率となった中国で、就職しなくてもまったく困らないという「寝そべり族」の正体
中国は、「ふしぎな国」である。 いまほど、中国が読みにくい時代はなく、かつ、今後ますます「ふしぎな国」になっていくであろう中国。 【写真】中国で「おっかない時代」の幕が上がった!? そんな中、『ふしぎな中国』の中の新語.流行語.隠語は、中国社会の本質を掴む貴重な「生情報」であり、中国を知る必読書だ。 ※本記事は2022年10月に刊行された近藤大介『ふしぎな中国』から抜粋・編集したものです。
躺平(タンピン)
中国語読みは「タンピン」。日本語の音読みにあえて直すと、「とうへい」となる。 だが「躺」が常用漢字にないので、意味が分からない方も多いだろう。中国の新華字典では、「身体を地上あるいはその他の物体の上に倒す」と説いている。 ちなみに旁の「尚」の字源は、「向」が窓。その上の二つの点は、光と空気の出入りを意味する。よって「躺」は、陽当たりや通風のよい部屋に身を置いて、心地よい状態を示す。 2021年夏、日本のテレビ局は、「躺平」という中国の流行語に、見事な和訳を命名した。 「寝そべり族」 何という名訳だろう。私はワイドショーで「躺平」を解説しながら、この訳を考え出した日本人に、密かに敬意を覚えた。仕事にも就かず、自宅でゴロゴロ寝そべってスマホをいじっている中国の若者たちのことを指す。 話は脱線するが、かつては私の命名で、和訳が定着した中国の流行語もあった。 2009年11月11日のこと。当時私は、北京で日系企業に勤めていたが、昼休みに若手の中国人社員たちのデスクが騒々しい。行ってみると、アリババがその日だけ、ネット通販の大安売りを始めたのだそうで、彼らは必死にパソコンと睨めっこしていた。 「今日は『1』が4つ並ぶ日でしょう。そこで『光棍節(グアングンジエ)』ということで、アリババが僕ら独身の若者向けに、本日限定の格安セールをやっているんです」 彼らはネットで次々に、服などを買い込んでいた。アリババはこの日だけで、計27商品を安売りし、5200万元(約10億4000万円、以下1元=20円換算)を売り上げた。 これは面白い! ちょうどその時、中国のインターネット人口が1億人を突破したということが北京で話題になっていたので、そのことも絡めて、記事にして日本に送った。 その際、「光棍節」を何と訳すか迷った。直訳すれば「1本の棍棒(独身者)が光り輝く日」。私は結局、「お一人様の日」と名付けた。そうしたら日本のメディアが一斉にマネをして、「お一人様の日」が定着してしまった。 ただ、当のアリババは、2012年のセールから、「お一人様以外にも広く買っていただくため、今年から『光棍節』の呼称を止め、『双(シュアン)十一(シーイー)』(ダブルイレブン)と呼びます」と宣言している。それなのに、変更して10年経ったいまでも「お一人様の日」「独身の日」と呼び続ける日本のメディアは困ったものだ。 すっかり話がそれてしまった。「寝そべり族」(躺平)の話に戻る。 2021年初め頃から、この言葉が中国のネットやSNS上で散見されるようになった。当時、私はこの言葉を目にするたびに、「ゲゲゲの鬼太郎」を思い起こしたものだ。 ゲゲゲの鬼太郎は、著者である漫画家・水木しげる(1922年~2015年)の分身である。私の両親の故郷である九州地方の方言で「食っちゃ寝、食ちゃ寝」(食べては寝るの繰り返しの生活)という言葉があるが、若い頃の水木しげるは、故郷の鳥取県境港で、まさに「寝そべり族」だった。後年、そんなぐうたらな自分の姿を反映させた少年として、ゲゲゲの鬼太郎のキャラクターを考案したのだ。 『ゲゲゲの鬼太郎』(当初は『墓場の鬼太郎』)が『週刊少年マガジン』に連載されたのは、1965年からだ。このマンガがあれほど大ヒットしたのは、妖怪のキャラクターが物珍しかったこともあるが、高度経済成長の競争至上主義の中で、当時の日本の少年たちが「寝そべり族」に憧れたことも大きかったろう。 「躺平」の中国人もまた、同様である。彼らはいわば「中国版ゲゲゲの鬼太郎」なのだ。 かつて日本で起こった現象が、時間差で中国でも起こるというのは、よくあることである。中国は、日本よりも数十年遅れて「豊かな社会」に向かっていったからだ。 中国社会を理解するうえで、重要な要素の一つが、中国人を世代別に分けて考えることだ。 中国は、1949年に建国して以降、日本以上に社会がダイナミックに変化してきたため、世代間の「差異」が日本の比でない。日中を簡単に比較すると、以下の通りだ。 まず日本の「’60 年安保世代」にあたるのが、「飢餓世代」。1958年に毛沢東主席が主導して始めた「大躍進」(集団農場の人民公社や鉄鋼増産などを無理に進めた)の失敗で、翌年から3年間で約4000万人もの人が餓死する事態に陥った。日本の若者が政府に拳を振り上げている間、中国の若者は飢えと戦っていたのだ。 日本では「団塊の世代」が続くが、中国では「文革世代」が続く。文化大革命で、後述する「紅衛兵」となって、毛沢東主席を熱狂的に信奉した人々だ。 私のような日本の「バブル世代」にあたるのが、「天安門世代」。「仏系」の項で述べたように、1989年の大規模な民主化運動「天安門事件」で挫折した世代だ。 続く「団塊ジュニア世代」に当たるのが、「改革開放世代」。物心がついた時から鄧小平氏が主導した「改革開放政策」の恩恵を享受してきた恵まれた年代だ。 そして、日本では不況下に生まれ育った「草食系」「さとり世代」と呼ばれる世代が続くが、中国は「一人っ子世代」となる。1980年代以降に生まれ育った中国人だ。 彼らは、6人の大人(父母と互いの祖父母)に育てられた「小皇帝(シアオホアンディ)」と「小公主(シアオゴンジュ)」(公主は皇帝の娘)だ。新中国建国後、初めての贅沢でワガママな世代の出現である。 ただ同じ「一人っ子世代」でも、前期の「八〇後(バーリンホウ)」(1980年代生まれ)「九〇後(ジウリンホウ)」(1990年代生まれ)と、後期の「〇〇後(リンリンホウ)」(2000年代生まれ)、「一〇後(イーリンホウ)」(2010年代生まれ)は、また違う。 明確な線引きはできないが、生まれが遅くなるほど「躺平」は増えていく傾向にある。 それは主に、二つの理由による。まず第一に、贅沢な環境だ。 一般の中国人がマイホームとマイカーを持つようになったのは、21世紀に入ってからだ。それまでほとんどの中国人は、決して心地よいとは言えない「単位(タンウェイ)」(職場)の社宅に住んでいた。そのため、前期の「一人っ子世代」の多くは、「貧困時代」の記憶がある。 ところが後期の「一人っ子世代」は、物心ついた時から、新築マンションに住んでいたり、マイカーで学校に送り迎えしてもらったりしている。しかも一人っ子だから、親の愛情と資金をふんだんに享けて育っている。そのため根がガツガツしていないのだ。 第二の理由は、就業競争の激化である。2012年から翌年にかけて、胡錦濤時代から習近平時代に移行したが、景気の観点から見れば、バブル時代から不況時代に変わった。 不景気なのに、大学の卒業生は、毎年約40万人ずつ増加している。やはり「仏系」の項で述べたが、2022年7月の卒業生は、1076万人。同月の若年層(16歳~24歳)の失業率は、コロナ禍やウクライナ危機などの影響もあって、過去最高の19.9%に達した。要は必死に就職活動をしても、ロクな就職先は見つからないのである。 それでは、若者の側からすると、就職しないと生活に困るのか? まったく困らないのである。居心地のよい自宅や車があり、おまけに親の財産もある。激烈な競争社会へ突っ込んでいくよりも、「躺平」していた方が楽だし、幸せなのである。 実際、中国のデパートへ行くと、「躺平」用のソファが大量に並んでいる。スマホはもとより、コンビニの菓子類から中国人の大好きな耳かきまで、「躺平の友」には事欠かない。 私の中国人の友人知人の子息にも、「躺平」は少なくない。彼らの特徴は、おとなしくて気が優しいことだ。隣で寝そべっているペットの犬や猫と、完全に同化している。 昨今、日本では「中国脅威論」が盛んだが、「躺平」は決して「攻撃的人種」ではない。人民解放軍に入隊して尖閣諸島を奪ってやろうなどとは思っておらず、むしろ大多数が日本のアニメや菓子類などを愛する親日派だ。 その意味では、「躺平」の急増は、中国では社会問題化していても、日本としては眉をひそめることもないのかもしれない。
近藤 大介(『現代ビジネス』編集次長)