バー店主に転身した“大谷翔平のドラ4同期”「彼をウリにしたくない」ワケは…大谷の隣で「ただ精一杯だった」宇佐美塁大の“プロ5年間”
市民プールでおじいちゃん、おばあちゃんに囲まれて
感心したのは大谷が練習に関して自分の軸をしっかりと持っていたことだ。特に若い選手は大抵マシン打撃で球数を多く打ち込みたがるものだが、大谷はそれをしない。屋外でのフリー打撃でも飛距離や柵越えの数を気にすることは一切なく、球数自体が少なかった。 「僕らは外で気持ちよく打ちたいし、感覚を逃したくないのである程度数を打って無意識にできるようにするんですが、彼はそれをしない。遅い球を打ってみたり、色々な構えを試しながら打ってみたり……。鏡の前でフォームをチェックするだけ、とか、マシンの前に立って球を見るだけ、ということもありました。打つ感覚よりも、最初の構えや体のポジションとかでその後の動作が全て決まる、というような理論なのだと思います。今も外で打つことは多くないみたいですが、プロ1年目からそんな感じでしたね」 5年間、寮生活だった二人はプライベートの時間もよく共にした。部屋で携帯ゲームをしたり、一緒に映画を見ることも多かった。時には電車に乗って連れ立って外出することもあったという。 「1年目のオフには市民プールに行ってみたりしました。おじいちゃん、おばあちゃんばっかりで『大谷くんじゃない? 』みたいな雰囲気の中で(笑)。トレーニングというわけではなく、泳ぎに。僕はあまり泳げなかったけれど、彼は小さい頃水泳をやっていたみたいで泳ぎが得意なんです。映画館に行った時は道中でバッグから小分けにしたサプリメントの袋を取り出して『ちょっと飲んでいい? 』と。休みなのに凄いなと驚いたことを思い出します」
「彼と比べることも、見て学ぶこともなかった」
当時の宇佐美さんにとって、大谷翔平は“怪物”というよりは同期入団の友人という存在だった。一方で大谷も、朗らかで距離感の取り方が上手い宇佐美さんに心を許していたのだろう。一軍で投打二刀流の活躍を見せ2年目、3年目とステップアップしていく中でも、二軍施設で調整する際には宇佐美さんによく、「ホームラン競争」を仕掛けてきたという。 「特に何か賭けるわけでもないんですけど『ホームラン競争しよう! 』と。僕が勝てるわけはないのに、向こうから言ってきて、当然僕が負ける。勝負にもなってないですけど彼は嬉しそうでした(笑)。僕自身は彼と比べることも、見て学ぶこともなかった。彼がやっていることを自分ができるものだとは思っていなかったです。僕はただ、自分のことで精一杯でした」 実はこの頃、宇佐美さんは大谷にも相談できない深刻な悩みを抱えていた。《インタビュー後編に続く》
(「プロ野球PRESS」佐藤春佳 = 文)
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