「誰かのために戦う選手は強い」オリックス・ドラフト1位『麦谷祐介選手』関東強豪高校に馴染めず中退 その挫折から麦谷選手を救った転校先の恩師の存在【ヒーローインタビュー】
その人の姿があったのは大崎中央高校硬式野球部。現在も監督を務める平石朋浩さん(37)です。 麦谷祐介選手(富士大学): 野球に対する、なんて言うんですかね…、やっぱり強いチームって上から行きがちだと思うんですけど、「泥くさい野球」というのを一番学びましたね。本当に熱い言葉をくれる方で、「誰かのために戦う選手は強い」というのをずっと言ってくれたり。その人のために頑張ろう、と思うとそれ以上の力が出るっていうのは僕も本当に経験したので、そういう言葉が一番残っていますね。 当時の麦谷選手を振り返って、平石監督は。 大崎中央高校硬式野球部監督 平石朋浩さん: ものすごく熱い気持ちを持っていますし、誰よりも「勝ちたい、甲子園に行きたい」という思いが非常に強い子だったので、それが時としてよく働くときと、空回りするときなんかもありますけれども、その”執念”というところがチームにすごくいい影響を与えてくれたなと感じています。 ■高校3年の麦谷選手、涙のワケ 202年、高校最後の夏はコロナ禍で甲子園がないながらも、独自大会を戦い抜きました。 結果は宮城大会3回戦敗退。それでも、大崎中央高校で野球ができたことへの感謝の思いを、当時高校生の麦谷選手は涙ながらに語っていました。 麦谷祐介選手(当時高3年): 自分だけ1年半という形で…、入ってきた頃は馴染めるかなとか不安だったんですけど…、「お前がチームに来てくれてよかった」とか、「お前のおかげで大崎中央強くなった」とかみんな言ってくれて、本当にここに来てよかったなって心の底から思って…。この大崎中央高校という名前のユニフォームを着て野球ができたことを本当に幸せに思っています。 麦谷選手がドラフト候補まで成長したことについて、平石監督は。 大崎中央高校硬式野球部監督 平石朋浩さん: いやもう非常に感慨深いものはあります。彼が転校してきた時のあの何とも言えない悔しさだったり悲しさが入り混じって、そしてこれからまた頑張ろうっていうあの表情も見て。一つひとつ大人になっていって、今立派に喋っているだけでもすごく喜びと感動があります。
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