写楽はふたりいた――。新機軸を打ち出した、謎解き時代ミステリの傑作!(レビュー)
寛政六年に突如として現れ、一四〇作あまりの作品を残し忽然と姿を消した絵師・東洲斎写楽。この謎の絵師は、今までにも泡坂妻夫『写楽百面相』、島田荘司『写楽 閉じた国の幻』等、いくつもの作品で描かれてきた。本作は、その写楽の正体探しに新機軸を打ち出し、先行する名作に対抗した傑作謎解き時代ミステリである。 浮世絵や戯作といった地本を扱う地本問屋の老舗版元、仙鶴堂の主人・鶴屋喜右衛門は、狂歌師・唐衣橘洲にたのまれ写楽を探す。噂からその素性は猿楽師・斎藤十郎兵衛と知れ、本人も認めるが、幾枚かは自分の絵ではないと言う。寛政六年五月興行「恋女房染分手綱」の役者の大首絵六枚がそれだ。写楽を売り出した版元、蔦屋耕書堂の主人・蔦屋重三郎に口止めされていたと言う。写楽はふたりいた――。喜多川歌麿とともにもうひとり、いや真の写楽探しに乗り出すことになる。 様々な角度から、少しずつ謎解きのピースが与えられ、読者も何度も写楽の絵と首っ引きで頭を捻ることになるだろう。でもそれが楽しい。しかし喜右衛門は魅入られてしまう。「恋い焦がれた絵師、東洲斎写楽の力を借りて、世に大穴を開ける。やりたいことができない今の有様、世の中、時代を吹っ飛ばす」――天変地異の多かった天明が終わり、松平定信による寛政の改革で地本が売れなくなって已むなく物の本を扱うも、百花繚乱の錦絵を売る地本問屋の版元としての矜持が彼を動かし、ついに真相を突き止めるが……。 版元と絵師、著者(かきて)の間には、仕事を越え時に魂の琴線に触れる出会いがある。蔦屋と写楽、同じく蔦屋と歌麿、和泉屋と豊国のように。しかし喜右衛門にはなかった。だがこの写楽探しで、写楽が蔦屋の創った理想郷のかけがえのない輪の一つであると、苦悩と“憧れ”の果てに見出した喜右衛門は、一回りも二回りも成長する。見事な人間曼荼羅だ。 [レビュアー]縄田一男(文芸評論家) 協力:新潮社 新潮社 週刊新潮 Book Bang編集部 新潮社
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