ヤマザキマリ こう生きなければという<理想>に苦しめられている私達。50歳を過ぎたら、ありのままの自分を受け入れてくれる人とだけつきあっていけばいい
漫画家・文筆家として活躍するヤマザキマリさんは、17歳のときに単身でイタリアに渡って以来、フィレンツェ、ポルトガル、アメリカなど、様々な土地で暮らしてきました。そこで出会った人との思い出を綴った著書『扉の向う側』が11月に刊行。古代ローマの魅力を伝えてくれたフィレンツェのカメオ店夫妻、リスボンのアパートの頑固で親切な隣人、キューバの海岸で夜を共に過ごした娼婦…。多様な人たちの生き様が映画のワンシーンのように鮮やかに描かれています。彼らとの出会いがマリさんの人生にどのような影響を与えたのでしょうか? 見知らぬ人との偶然の出会いが持つ“ご縁の力”について、じっくりと語っていただきました。今回はその後編です。 【写真】マリさん「50歳を過ぎたらありのままの自分を受け入れてくれる人たちとだけつきあっていけばいいと思うようになりました」 * * * * * * * ◆そもそも人間はそんなに立派な生き物なのか 人との偶然の出会いが自分の人生を大きく左右した…とはいえ、これまでの人生で人とのトラブルは数えきれないほどありました。 私は自分も立派にヒトという種族なんですが、子供の頃からヒトという生物があまり得意じゃない。要は人間嫌いというやつです。 人間は地球上で最も支配的な生物と言われていますが、実際、世の中はそんな人たちで溢れてます。精神が宿っているから、知恵が発達しているから、どの生物よりも一番優れている、という短絡的な見解自体が意味不明。そもそも人間ってそんなに立派な生き物なのか、と自分に対しても常に自問自答しています。 でも、そういった性質も含めてそれが人間という生物でもあるわけです。 辛い思いをする度に「どんなにイヤな人でも、みんな苦しみや悲しみを抱えて頑張って生きているんだから、優しくしてあげなさい」というプラトンの言葉を思い出す。自分には受け入れ難い人であっても、そこにはその人の人生や背景があるんだと、考えるようにしています。 自分とは考えや意識を共有できない人を排除する、マウントできない人を阻害する、という野蛮な姿勢では、いづれヒトという種族は残っていけなくなるでしょう。
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