諸星和己、光GENJI解散後のニューヨーク生活が“ビッグマウス”を変えた
元光GENJIの大沢樹生が初監督した映画『鷲と鷹』で主演を務めるのが、同グループの中心メンバーだった諸星和己。1995年の解散以降、アメリカ、ニューヨークに拠点を置く一方で、日本でも歌手や俳優として活躍している。バラエティー番組では、その歯に衣着せぬコメントが支持され、43歳になった現在も人気は衰えていない。であるならば、日本を活動の拠点にするべきでは、と思うのだが、そもそもニューヨーク行きを選択していなければ、諸星は“過去の人”として埋もれていたかもしれない。 ■渡米の理由は「考え方の違う人と接したい」 伝説のアイドルグループとして、昭和から平成初期にかけて、ローラースケートで走り抜けた光GENJI。諸星は、グループが解散した1995年に所属していたジャニーズ事務所から独立し、歌手、俳優、タレント活動とマルチな才能を発揮する。そんな矢先に頭をもたげたのが「考え方の違う人と接していきたい」という思いだった。過去に得た知名度に甘んじることなく、渡米。ニューヨーク行きを決意する。「ニューヨークの人たちは田舎者が多いんだけれど、自分自身の価値観をしっかりと持っていて、俺の話もちゃんと聞いてくれるし、違うと思ったらはっきりと反論する。そんな関わりに刺激を受けることが多かった」と現地での体験を語る。 「ジャニーズという、デカイ事務所を辞めて、誰も自分のことを知らない場所へ行くのは相当の勇気が必要だったはず」と、今でこそ客観的に話すが、当時の行動について「エコノミークラスで生まれ育ったような人間が、いきなり『光GENJI』というファーストクラスに乗ってしまうと、何が普通だかよくわからなくなる。なんとなく一歩踏み出した感覚だった」と、当時のポジションを捨て、海を渡ることに躊躇はなかった。 ■シビアな現実「解散後、たくさんの人が去っていった」 また、シビアな現実も背中を押した。「グループ解散後は、潮が引くように、たくさんの人たちが自分の周りから去って行った。たぶん、それは自分がそれだけひどい奴だった証拠でもあるし、いい人だったら色々な人がサポートをしてくれるはず。あれだけ、たかっていた人が一気に去ったってことは、俺が相当悪い奴だったから」と、“天狗”だった当時を振り返る。そんな過去も手伝って「だから『日本で忘れ去られてしまうのでは?』という不安自体ないですね。極端に言えば『自分には失うものはない』という考えだから」と、常に攻めの姿勢を保てている。