黒沢清が語る、“日常“描写が映画にもたらす異物感とリアリティ。撮影のない時期の過ごし方は?【『Cloud クラウド』公開記念インタビュー特集】
フランスに舞台を移し、1998年公開の同名作品をセルフリメイクした『蛇の道』(24)、映画のなかの“3大怖いもの”が詰め込まれた『Chime』(公開中)と、すでに黒沢清監督作が2作品劇場公開される異例の事態となった2024年。菅田将暉を主演に迎え、そんな“黒沢イヤー”を締めくくるサスペンススリラー『Cloud クラウド』が9月27日(金)より公開となる。現地時間8月30日に第81回ヴェネチア国際映画祭で行われたワールドプレミア上映では、世界各国の映画ファンに熱狂的に迎えられ、トロント国際映画祭や釜山国際映画祭へも正式出品。第97回アカデミー賞国際長編映画賞の日本代表作品にも決定するなど、快進撃を続けている。 【写真を見る】偶然こそ“撮り時”であると説明する黒沢監督。自身の日常から、お手製パスタのレシピまで(!?)を語る 『Cloud クラウド』の公開を記念して、黒沢監督にとことん語りまくってもらうインタビュー連載を展開。第1回は、『Cloud クラウド』の題材でもある「日常」と、映画ファンを虜にする黒沢作品の「空間」をテーマに、映画評論家の吉田伊知郎がインタビュー。主人公の職業を“転売ヤー”とした理由から、黒沢監督自身の「日常」までを語ってくれた。 「生活を変えたい」という想いから、世間から忌み嫌われる“転売ヤー”を副業として、日々まじめに働く主人公の吉井(菅田)。ある日、勤務するクリーニング工場を辞職した吉井は、郊外の湖畔に事務所兼自宅を借り、恋人である秋子(古川琴音)との新たな生活をスタートする。転売業を軌道に乗せていく吉井だったが、彼の知らない間にバラまいた憎悪の粒はネット社会の闇を吸収し成長。“集団狂気”へとエスカレートしてしまう。前半は冷徹な「サスペンス」、後半は1990年代の黒沢監督作品を彷彿とさせる「ガンアクション」と、劇中でジャンルを転換する構成で観客を呑み込んでゆく。 ■「“日常”の延長で殺し合いに発展していくことが、本作のねらい」 ――まずは本作で描かれる「日常」をテーマにお話をお伺いします。菅田将暉さんが演じる主人公の吉井は、「転売屋」を最初は副業にしていて、途中から本業になっていきます。特殊な職業に設定されていますね。 「たまたま僕の知り合いに、転売をやっている人がいたんですよ。いまはもう辞めちゃったんですけど。話を聞いていると、あんまりおもしろいので取材したんです。結構やることがいっぱいあるんですね、詐欺スレスレのことをまじめに一生懸命やらないとできない」 ――知人にいらしたとは(笑)。黒沢監督の作品では、仕事は記号として存在する印象が強いので、取材するというのは意外に思いましたが。 「そう。取材、苦手なんですよ(笑)。この転売の話はおもしろかったんですけど、映画を撮るために取材しておもしろかったことってあまりなくて。過去に、こういう人っておもしろいんじゃないかと思って、本人に会って話を聞いてみたこともあるんですが、頭で考えていたほどおもしろくはないんだっていうことだけがわかって」 ――取材しないと、脚本が書けないというタイプの監督もいますね。 「取材していいこともあるんでしょうけど、例えば誰かが映画監督を登場させるために、どんなことをやっているのか取材しようとした場合、訊く相手によって言うことがまったく違いますよね。怖い人、優しい人、無口な人、お喋りな人、いろんな監督がいるので、なんでもありになってしまいます。結局取材なんかせずに、あなたが考えた映画監督像のほうがきっとおもしろいし、それは嘘ではないですよっていうことになると思うので。どうしてもわからないギリギリのところは取材する場合もあります」 ――本作で描かれる「転売屋」の描写は、自宅でできるだけに職住一体で日常と仕事の区分がないですね。 「今回に関しては、ほとんどが日常のなかで行われるドラマにしようとは思っていました。サム・ペキンパーの『わらの犬』みたいに、ほぼ日常のなかでこんな殺戮まで行くんだっていう作品が鮮烈に印象に残っていましたから、日常とまったく切り離されて別なところで殺し合いが行われるんじゃなくて、日常の延長で殺し合いに発展していくっていうのが、今回のねらいではありました」 ――『Cloud クラウド』では、吉井は東京のアパートでの生活に危険を感じて、人里離れた山の中の邸宅に転居していきますね。 「そこでは、もっとやばい状況になっていく。引っ越すっていうのも、日常をだんだんやばくさせていくために、あえてやってるんですね。ずっと東京にいると、もう警察に行くしかなくなってしまうので。あるいは近所の人に気づかれる。山の中に引っ越せば、日常ごとまた危険地帯に入れる(笑)」 ■「底知れないところにつながっていそうな気配がある“空間”が、やっぱりおもしろい」 ――黒沢監督の作品は、異物感のあるロケーションやロケセットなど、日常のなかにある「空間」も見どころです。例えば、吉井が暮らすアパートはとても魅力的でしたが、撮影場所を決めるにあたってどんな条件を出したんですか? 「まず、アパートの2階に部屋があって、その部屋の窓から下の道が見下ろせること。それから、見下ろした道に立っていた男が階段を上がってくるシーンが成立することというのが条件でしたね。もちろん高級マンションじゃなくて、それなりに古いアパートで。この条件はわかりやすいので、結構探しましたけどありましたね。大変だったのは、郊外に引っ越したあとの一軒家ですね。条件としては人里離れたようなところにあって、でも怪しい車が走れる道はあって、走って逃げたら森の中に駆け込めるところにある家」 ――すべての条件が揃う場所で、撮影にも貸してもらえる家となると、難易度が上がりそうですが。 「そう簡単にはなかったです。別荘みたいなところがいくつかあったんですけど、そんなに広い道路に面していなかったり、すぐ近くに隣の家があったり。最終的に見つけた場所の脇に湖があるのはまったく予想してなかったんです。あれは保養所だったのかな?人が住む家ではなかったので、中を改装して。そこはお金もかかりましたね。それで映画にあるような家になったわけです。だいたいロケ場所って、いくつかはこちらの希望通り、それ以外はたまたまそうだったというような条件で決まっていくことが多いですね」 ――山里離れた家に移ってからは、周辺にあると思われる村や、村人たちは出てこないですね。 「脚本上では、いろいろなパターンがあるなと思ったんですけど、湖のほとりの家で撮ることが決まって、もうほかはどうでもいいやと思って。出てくる湖は群馬県にある榛名湖の湖畔なんですが、ほかの村のシーンは東京や千葉で撮影しています。僕はもう何度も経験しているので慣れっこになっちゃいましたけど、映画ってそういうのを継ぎ接ぎにしつつ、でもどこかでリアリティともまた違う整合性、統一性のようなもの意識して撮るもので、最終的には観た人がどう思ったかに任せる。そういうものなんだということを、今回もつくづく実感しました」 ――後半の舞台となる荒廃した工場のような場所がすばらしいですね。 「あそこは、よく見つかったと思いました。福島県の巨大な施設というか工場ですね。まだどこの映画でも使ってないんです。制作部が見つけてきて、どこを使ってもいいということで、使わせていただきました」 ――セルフリメイク版の『蛇の道』と似た空間も登場しました。密室ではなく、窓があったりして外とつながった空間になっています。 「四方壁に囲まれた塞がれた空間って、映像にすると意外におもしろくないんですよね。部屋の奥が暗くなっていって、どこか底知れないところにつながっていそうな気配がいたるところにある空間がやっぱりおもしろいですね」 ――この工場跡の場面で、カットが変わると不意に雪が降っていました。あれは意図的に雪を降らせたんですか? 「いえ、偶然です。撮影中に本当に雪が降ってきたんですよ。すると、『天気が(編集で)つながらないから雪を待ちましょうか』という意見もありましたけど、僕は『いまが撮り時だ』と。この偶然は逃したくない。むしろバタバタと撮ったぐらいです。ねらいではないんですが、どんな状況でも雪は突然降るんですよね。だから映画のなかでもカットが変わって雪が降っていても、たぶんなんの問題もない」 ――編集のつながりで言うと、車が発進するカットや、シートベルトを締めるカットで、カメラの位置を変えずに同ポジで間を少し詰めているような編集があったと思いましたが。 「まったく同ポジでポンと飛んだところは、あったかな…。同じ方向からだけどちょっと寄ってポンと飛ぶとか、そういうのは好きなんですよ。ほとんど同じアングルでも、ちょっと寄るとか、ちょっと引くとか、微妙に変えて編集すると、注意深く見るとわかるんですけど、人によっては気づかない。それで言うと、僕がびっくりしたのは、エドワード・ヤンの『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』の前半で、少年たちが喧嘩で捕まえた少年を、レンガみたいなものでバーンと殴るとこがあるんです。 長いワンショットで捕まえてきて、バーンと殴ったら本当に血が滲んでガタガタ震えるっていう。『うわー、ものすごいワンショットだな』って3回ぐらい観たんですが、4回目観たら、カットが途中で変わっているんですよね。同じアングルの同じ方向なんですけど、ポンと寄っている。意図的にごまかしているんじゃなくて、明らかに編集してあるんです。こっちがワンカットだと思い込んでいただけなんです。それがきっかけで、こういう編集をすると、人によっては気づかないんだなっていうのが大変興味深くて、時々やります」 ■「休みは映画監督にとって失業中。2度と撮れないのではという“恐怖”は常にある」 ――昨年は1年を通して『蛇の道』『Chime』『Cloud クラウド』の撮影と仕上げがあって、黒沢監督自身の「日常」はほとんどなかったのでは? 「去年が忙しかったのは実感としてありますが、確かに非常にハードなペースではありました。ただ、月曜から金曜まで朝から夜まで毎日会社で働いているサラリーマンの方より忙しかったか?と問われると、その人たちよりは暇にしてたかなって思いますね。確かに大変忙しかったんですけど、撮影をしてない時は、朝遅くまで寝ていたりね。そんなにがんじがらめに自由を束縛されているという感じもなかったですね。こういう仕事ですから、わりと忙しいけれども、時間の使い方は自分の自由になる部分もあるので不自由な感じはなかったかもしれません」 ――では、次の仕事が動いていない時期というのは、どう過ごされていますか。 「休みの時って、映画監督にとっては失業中なんですよ。だから、1本映画が終わると、本当にこれで終わりかもしれないと思うんです。もう2度と撮れなくなるかもしれないっていう恐怖は常にありますね。だから、いまは休みだという風に割り切れないところがあります。それでも、休んだりはしていますが、人に言えるほどの趣味もないので、うだうだしたりはしていますけどね」 ――撮影中だと朝は早く起きなければいけないと思いますが、撮影がない時期だと変わりますか? 「僕は元々朝型なので、早起きなんですよ。だから、撮影がなにもない時も、意外に早く起きて。夜が苦手なんですね。だから、夜の撮影も大っ嫌いですね(笑)。なにもない時も意外に早く起きて…。そうは言っても、早起きのサラリーマンの方よりはずっと遅いと思いますが。でも早く起きてなにをやっているんでしょうね(笑)。これといっておもしろいことはなにもやってないかもしれません」 ――夜の撮影が嫌いということですが、撮影中の夜の過ごし方は? 「撮影中は、撮影の状況にもよりますけど、夕方の5時に終わったとして、そこから次の日の撮影、次の次の日の撮影、あるいはだいぶ先だけど、まだ決めかねているところがいっぱいあるので、プランを練る時間に充てますね。その日の撮影が終わったあとに喫茶店へ行って、いろいろ考えて、帰ってから夕飯食べて、ちょっとしたらすぐ寝ちゃって。それで次の日の朝早く起きて、また考えるということもありますね」 ――撮影のない時期だと、どうですか? 「なにもない時は、12時半から1時ぐらいに寝る感じかな。それで朝8時ぐらいに起きる感じですかね。わりと一貫してそういう生活です」 ――最後に「日常」に通じる部分で、黒沢監督の「料理」についても、伺いたいのですが。少し前に佐々木浩久監督が、「植岡組の関テレのドラマのプロデューサーを黒沢清監督と一緒にやった時、(略)黒沢さんがミートソーススパゲティを現場で作った。水は絶対に使わない、生のトマトと玉ねぎだけから作ると張り切った黒沢さん。かなりおいしかった記憶」とX(旧Twitter)でポストされていました。最後にこの水なしパスタの作り方をお願いします。 「ちょっと待ってください。その出来事は覚えてます。ただ、佐々木はなにか大きな勘違いをしているんじゃないかな?たしかに僕はその昔、植岡(喜晴)さんが撮る深夜ドラマのプロデュース的なことをして、撮影現場でスパゲティを作りました。これは間違いないです。でも、水なしってどういうことかな。もちろんソースに水なんか入れませんが、トマト缶とか生のトマトをたっぷり入れるので、充分水気はあります。僕はスパゲッティをよく作るので手慣れていると思ったんですけど、難しかったのはパスタを茹でる時です。ソースはできたんですけど、それよりも大きな鍋にグツグツお湯を沸かして40人分のパスタをいざ茹でようとすることが甘かったですね。 40人分のパスタを一気に入れると、温度が下がっちゃってまったく沸騰しないんですよ。大量のパスタを茹でるなら、小分けに茹でて、もう1回炒めるとかしないと、一気に40人分のパスタなんて出来ない。そこから、別の鍋に急遽湯を沸して、中途半端に茹だったやつを部分的に入れながら作ったんだったかな。もう食事の時間が遅れて、えらい騒ぎでした。40人分ものパスタを一気に茹でるのは不可能でした」 ――そんな事件が起こっていたんですね(笑)。まさか黒沢監督の「料理」エピソードが仔細にうかがえるとは…。ありがとうございました(笑) 【次回予告】第2回では黒沢作品に頻出するモチーフである「拳銃」と「車」をテーマにしたインタビューを掲載!黒沢監督が念願だったという拳銃の撃ち方から、自作に登場した偏愛の車についてまでお届けします。 取材・文/吉田伊知郎