【七日町通り30年】地方創生のモデルに(12月10日)
会津若松市の七日町通りで、歴史的な建物を生かしたまちづくりがスタートして今年で30年の節目を迎えた。かつては人通りが少なく、「シャッター通り」と揶揄[やゆ]された商店街は、今では年間45万人が訪れる、市内を代表する観光スポットに生まれ変わった。地域資源を磨き、光らせる地方創生の成功事例の一つとして、県内の他の市町村も大いに参考にしてほしい。 七日町は、会津若松市の中心である大町四ツ角からJR七日町駅までの約800メートルの通りで、藩政時代に栄え、昭和40年代ごろまでは2館の映画館を擁する繁華街だった。しかし、市街地をとりまくバイパスの開通や道路事情の変化などで消費者は郊外のショッピングセンターに流れるようになり、空き店舗が目立つようになった。こうした状況は現在も県内各地で散見され、多くの自治体にとって共通の課題と言える。 1994(平成6)年、通りの再生に向け、「七日町通りまちなみ協議会」が発足した。特筆すべきは「景観」と「町並み」を切り口に、観光客の誘客による活性化を軸に据えた点だ。通りには蔵や洋館、木造商家などの歴史的な建物が残っており、外観を昔の風情に戻すとともに、景観を統一する形で空き店舗の改修も進められた。今日の町並みがあるのも、強力なリーダーシップの下、メンバーが同じ方向を向き、決意を持って再生に取り組んできた、たまものだろう。
最近は、抹茶専門店や赤べこに特化した観光施設、素泊まりのホテルなどの新規出店が相次ぐ。これらの担い手は、七日町通りの魅力に引かれた市外出身者や若手経営者だ。昔も今も、後継者不足がシャッター通り化する大きな要因となっている。市外出身者の新鮮な視点や若い感性を受け入れ、今後のまちづくりをより深化させる必要がある。 旅行形態の変化への対応も求められる。観光関係者によると、かつては大型バスでの団体旅行が多かったが、近年は個人や少数での旅が主流になってきた。街歩きや、その土地でしか味わえない体験が観光客の人気を集めている。通りの一軒一軒が、こうしたニーズに応えられれば、100万人の来訪も夢ではない。さらなる交流人口の拡大に期待したい。(紺野正人)