「弱者の兵法」で国立大の和歌山大が神宮初出場初勝利!
キャッチャーの真鍋は、その肩で楔を打ち続けた。1回、2回と続けて盗塁を阻止しただけでなく、走者が出ると、執拗に一塁、三塁へ牽制を投げる。 「あれをやることで相手のリード小さくなりプレーが遅れます」 大原監督も言う。「カバーリングを確実にやらせています。それることがあっても傷口が広がらないので、も思い切って怖がらずに投げることができるんです」。 そして、貴志ー真鍋の究極の打たせるピッチングと、鍛えられた守備陣がリンクした。 「守備は一歩目が勝負なんです。全員が、コース、球種、バットの振りとインパクトの瞬間にあわせて打球を読みながらスタートを切っています」と、真鍋。3回にはバックホームで憤死させ、4回にも長打コースの打球を見事な中継プレーで三塁で刺した。 神宮出場が決まると大原監督がすぐに東都のリーグ戦に足を運び観戦。神宮球場の芝のバウンドを確認した。近畿リーグの主戦としている球場の人工芝と違って跳ねない。だから「ワンバウンドでなく、ツーバウンドでいい」と外野手と中継の内野手に伝えていた。 打てそうで打てない貴志に対して、岡商打線は内野ゴロを量産したが、エラーはひとつもなかった。深いところに打たれれば、無理せずにワンバウンド送球していた。ゲームセットもセンターの池内健人のダイビングキャッチ。打球を予期してスタートを切った考え尽くされたスーパープレーだった。 和歌山の古豪、桐蔭の野球部出身で、同チームのコーチを務めていた大原監督が和歌山大の監督に就任したのは、2008年。当時、最も下の3部所属だったが、10年かけて神宮で1勝できるチームに育てた。 その根本にあるのは「弱者の兵法」である。 大原監督が言う。 「岡商は最後に集中力が切れましたよね。やはりドラフト候補選手は、速いボールをスカウトに見せたいと思うし、バッターは遠くへ飛ばそうとするんです。そういうバッターやピッチャーがいるチームには、つけいる隙が生まれます。そういうチームに勝てる野球をずっと目指してやってきました」 その野球の原点は、東亜大で全国制覇を3度果たした中野泰造氏の野球だった。 中野氏が奈良の桜井商で監督をしていた時代から、その野球論と監督論を慕う大原氏は、何度も中野氏の元を訪れ、その指導スタイルを学んだ。中国6大学リーグの東亜大が全国制覇した裏には、選手の自主性を喚起して、粘りと機動力、相手のミスを誘う投球術などの徹底した弱者の兵法があった。 「ノーサイン」 「自分で考えて相手の嫌がることやる」 「ファウルで粘る」 「相手のミスを誘う」 中野氏は、山口の高川学園高監督を経て、現在は、鹿児島大でコーチを務めている。チームにキャプテンの真鍋ら、高川学園高出身者が4人もいるのは、そのつながりだ。 真鍋は、大原監督が視察したときはセカンドを守っていたがキャッチャーをやらせたいと声をかけた。 「受験をクリアしなければならないのですが、勉強も教えにいきましたよ。中野先生に聞くと、2年まではキャッチャーだったと。彼が4年になるときに全国へ行きたいと考えました」 大原監督は、3年計画を練り、2年の秋に真鍋を早々とキャプテンに指名している。昨年の夏には、鹿児島の中野氏の元に選手を連れて合宿を張った。 今でも東亜大は、その中野野球が継承されているが、中国6大学リーグで、その東亜大に勝って神宮に出てきた岡商大のエース、近藤に「東亜大に似ているチームと聞いていたが、粘り強かった」と言わせたのは、大原監督にとっては、これ以上ない褒め言葉だった。