【証言インタビュー】山本昌(元中日) 私が見たレジェンドたち「巨人の三本柱というライバルたちと投げ合えたことは本当に良かった」
投げ勝つのが一番難しかった斎藤雅樹
90年の歴史を誇る日本プロ野球界で50歳まで現役でプレーしたのは山本昌のみ。最年長の記録はほぼ保持している
【プロ野球90年特集 伝説のエースたち】 同世代のエースたちについて話を聞く「証言インタビュー」。50歳まで現役で投げ続けた山本昌氏だ。中日在籍32年はプロ野球90年の3分の1以上に相当する。ともに投げ合ったエースたちを、どのように感じていたのか。 取材・構成=牧野正 写真=BBM ──山本昌さんは中日への入団が1984年で引退が2015年。50歳まで現役プレーヤーでした。 山本 よくやったというより、よくやらせてもらったという感じです。本当にチームに恵まれました。ほかの球団だったらたぶん50歳までなんて、とてもやらせてもらえなかったですよ。そういう意味では、球団、ファン、スタッフ、関係者のおかげですね。自分自身は特に何かしたわけではなく、ただ野球が好きで頑張ってきただけなので。 ──今回は山本昌さんと投げ合ったエースたちの話をお聞きしたいのですが、まずは宿敵・巨人からいきましょう。斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の巨人三本柱とは同世代ですよね。 山本 3人ともよく投げ合いました。3人の中では斎藤さんに一番勝ちたいと思ってやっていました。というのも斎藤さんと一番相性が悪くて。桑田投手は逆に相性が良く、槙さんとは五分五分だった印象があります。斎藤さんは真っすぐがスライダー回転してホップするんですよ。僕は左打者ですけど、これは左打者は打てないだろうと打席で感じていました。右打者には遠くに流れるスライダーがあって、球種は決して多いわけじゃないですけど難攻不落というか。何しろ11試合連続完投勝利(1989年)ですから。投げ勝つのが一番難しい投手でした。 ──桑田投手と槙原投手については。 山本 桑田投手は野球センスが抜群でした。投げるのはもちろん打撃も守備も一流。思い出すのは、札幌円山球場の試合(92年7月9日)。僕が2安打完封したんですけど、その2安打は桑田投手に打たれました。8回裏に桑田投手に代打が出たんですけど、そのときはものすごいブーイングで(笑)。槙さんは速かったですよ。スライダーのキレもあるし、フォークも落ちる。やっかいな投手でした。ただ槙さんが出すブロックサインはよくばれて、そのときは打てました。でも3人の中で誰が一番速かったと言えば槙さんかな。でも誰の真っすぐが一番打てなさそうかと言えば、これは斎藤さん。桑田投手は真っすぐというよりコントロールのほうかな。でも巨人の三本柱というライバルたちと投げ合うことができて、本当に良かったと思っています。 ──その三本柱の次のエースとして出てきたのが、99年に入団していきなり20勝を挙げた上原浩治投手でした。 山本 ボールは速かったし、コントロールもいいし、小気味よかった。打席に立って速いと感じましたが、でも上原投手はスピードよりもコントロール抜群の印象ですね。これは余談ですけど、上原投手がレッドソックスで世界一を決めて胴上げ投手になったとき(2013年)、僕はテレビの前で正座して見ていました。世界一の瞬間のマウンドに日本人投手が立ち、仲間と抱き合っている日が来るなんて夢のようでしたから。 ──巨人絡みでお聞きしたいのですが、山本昌さんの2歳上になる工藤公康投手についてもお願いします。 山本 ずっとお手本にしていた投手。同じセ・リーグに移籍して来てくれたのはうれしかったですね(西武、ダイエーを経て00年に巨人移籍)。僕が感謝しているのは、工藤さんがいてくれたから、僕が矢面に立たなくても済んだこと。工藤さんは・・・
本文:4,211文字
購入後に全文お読みいただけます。
すでに購入済みの方はログインしてください。
週刊ベースボール