自分を”落とした”クラブにリベンジ誓う…自身の価値を証明へ ダービー前に藤枝MYFC主将が思うこと
リベンジのチャンスが訪れた。子供の頃に憧れたピッチ。しかし、ジュニアユースの入団試験に不合格となり、そこから悔しさをバネに別のクラブでプロ選手になった。 憧れのクラブのホームに乗り込んで試合に臨むことを楽しみにしていたが、2023年は直前に大ケガ。2024年6月、ようやく待望の試合が訪れようとしている。
憧れのクラブの入団試験に落選
藤枝MYFC・杉田真彦 主将: あのピッチ(日本平)に憧れて「サッカー選手になりたい」と一番最初に思ったので、とにかくエスパルスと試合ができることが楽しみでしかたない 藤枝MYFCのキャプテン・杉田真彦 選手(28)。 笑顔がトレードマークで誰からも愛される性格だ。 ピッチに立てば味方へ指示を送りながら、自身も試合を通じて走り切り、藤枝MYFCが目指す“超攻撃的サッカー”を動かす、チームに欠かせない戦力だ。
清水エスパルスの本拠地の静岡市に生まれ、5歳でサッカーを始めた杉田選手。 初めて見たプロの試合はエスパルスのホームゲームで、そこから日本平でのプレーに憧れを抱いた。 しかし、17年前、今でも忘れられない出来事が…。 エスパルスのジュニアユース(中学年代)の入団試験に落選。小学生で静岡市の選抜チームに選ばれながらも、エスパルスの試験は5次試験のうち2次試験で早々に落ちてしまった。杉田選手は「レベルの高いチームなんだなと感じた」と苦い思い出を振り返る。
誰にも負けない運動量でプロに
夢破れ、中学と高校はサッカーの強豪とはいえないチームにいたが、「見返したい」という思いが消えることはなかった。 杉田選手の武器は誰にも負けない運動量だ。中学・高校と練習から帰宅しても日々走り込みをして、この武器を身に付けた。 故に「走るところはどのカテゴリーでも負けたことがない。走ることは好きではない、むしろ嫌いだが、(プロになるために)必要な努力は惜しまなかった」と胸を張る。
高校卒業後は全国屈指の強豪・順天堂大学に進み、アマチュアリーグを経由して、2020年に藤枝MYFCとプロ契約を結んだ。 泥臭い道を歩み下から這い上がってきたからこそ、同じく下克上を狙うチームと共に成長してきた杉田選手。 藤枝MYFCを初のJ2昇格へと導き、2023年、ついにエスパルスと同じJ2の舞台に立った。