新紙幣の渋沢栄一 ひ孫が語る人物像と教え 「立派なご先祖さまがあるんだから、しっかり…それが嫌で」
鮫島さん: 「会社の経営というのは金もうけのためにやるんじゃないんだよ、というのはそれが一番会社経営するときにいつも思い出しながらやっていましたね」 「利益よりも前に世の中、人のためになっているかという方がプライオリティが高いはずであると思っていましたね」 渋沢の教えを説いてくれた母・純子さんは去年、他界。 鮫島さん: 「おふくろがいる間に新札がでたら見せてあげたかったなと思います。1年(亡くなるのが)遅れたら…」 新札を手に取ることはできませんでしたがお札に載せる渋沢の顔の確認に携わっていたたそうです。 鮫島さん: 「母も新札の絵を見て栄一が思い浮かぶかというチェックを頼まれてやったというのは聴いた。だからよく似ていると言っていましたね」 また鮫島さんは、退職後に北杜市に移住してきましたが、この北杜市が渋沢のゆかりの場所ではないかと感じています。 鮫島さん: 「渋沢家のルーツは甲斐源氏であるというのを渋沢は本に書いてある。甲斐源氏というのは北杜市なんですよね。渋沢資料館の方が調べにきたのだが確証は持てていないだけど渋沢栄一のルーツが僕を呼んだのかもしれないと思っています」 そして今も渋沢の教え通り「人のために尽くしたい」という思いを持ち続けています。 鮫島員充さん: 「北杜にお役に立てることがあればしたいと思うけれどもう年だから。あとはこのままこのペースで生きていきたいなと。最高の老後を楽しんでいます」
テレビ山梨