「元は高知が発祥なんだよ…」ことし70年目の「よさこい祭り」アレンジ自由で全国に拡大
高知の夏の風物詩「よさこい祭り」が70年目を迎える。市内中心部の目抜き通りやアーケード街を華やかな衣装に身を包んだ踊り子の隊列が演舞する姿は圧巻だ。戦後の傷痕が残る中、市民の繁栄を願って始まった。もとは盆踊りのような振り付けだったが、次第に自由で熱狂的な踊りに変わり人々を魅了してきた。国内外に広がった「よさこい系イベント」の元祖である。 今年は前夜祭、後夜祭を含む8月9~12日の日程で4年ぶりに通常開催される。市内のあちらこちらで見られる踊りの夜間練習も追い込みに入り、節目の祭りに向けた雰囲気が盛り上がってきた。(共同通信=野島奈古、船田千紗、片山寿郎)。 ▽練習は「大人の部活」 高知市でバーを経営する沖倉翔樹さん(36)の夏は6月から本格的に動き出した。よさこい祭りで披露する踊りの練習が始まったからだ。参加する「よさこいチームTACYON」は踊りの振り付け、音楽、衣装などをそれぞれプロに任せる本格派集団の一つ。よさこい祭りでは踊りの優秀なチームを表彰しており、最高の「よさこい大賞」や「金賞」「銀賞」など上位の入賞を本気で狙っている。 練習は厳しく、沖倉さんいわく「大人の部活」。40分間の筋トレとストレッチから始まり、踊りの動作の確認では何度も仲間と意見がぶつかりあう。自分は完璧に踊れていると思っていても「ズレている」と注意されたり、踊りの隊列の順番が目立たない後方に回されたりすると納得がいかず、悔し涙を流す人もいる。苦しいことが多くても、踊りを仕上げていく作業には「喜怒哀楽を乗り越えた一体感がある。人間らしさが詰まっている」という。東京都出身の沖倉さんが4年前、よさこいに魅せられて高知に移住した理由がここにある。
▽心動かした1枚のDVD 沖倉さんは20歳のころ、初めて高知を訪れた。高校卒業後、都内のホテルでシェフとして働いた。有給休暇を使い、特に考えもなく一人で高知へ。よさこい祭りも知らなかったが、旅の記念に祭りのDVDを買った。 自宅に戻ってDVDを見ていた時、あるチームが目に留まった。鮮やかな衣装をまとった男女の踊り子が一糸乱れず演舞する。「これはすごい。踊ってみたい」。仕事を辞め、2010年に4カ月間「よさこい留学」として高知市に滞在し、チームのメンバーとなった。初めは両手に持つ鳴子を使いこなせず、踊るだけで精いっぱい。それでも本番は「きれいにまとまり、達成感があって楽しかった」と振り返る。 初めてのよさこいを経験して高知県民の人柄にも魅了された。ここに住みたいと思ったが、もっと良い場所があるのではとも感じた。 ▽世界放浪で気付いた「高知愛」 すぐに移住はせず、世界各国を転々とした。ただ、ペルーの古代遺跡マチュピチュや絶景として知られるボリビアのウユニ塩湖などを訪れても、祭りに没頭した高知の日々ほど心は揺さぶられなかった。3年ほど暮らしたブラジルで、現地のよさこいのイベントに参加。地球の裏側でもよさこいが知られていることがうれしい半面、本場・高知の盛り上がりを懐かしく思った。ブラジルを離れ、オーストラリアなどオセアニアに滞在していた時に高知移住を決めた。長らく高知に行っていなかったこともあり「高知愛が高まった」と話す。 2019年に高知市へ移住してバーを開いた。お客さんと「よさこいトーク」で盛り上がる。20年からは市が設けた「よさこい移住」をサポートする応援隊の一員に任命された。今年で8回目の参加。「よさこいは老若男女を問わずみんなで踊る高知の文化だ」とあらためて感じている。