ピーコさんによる花束のお裾分け【山田美保子コラム】
【山田美保子のミホコは見ていた!】 「コメントは辛口だけれど、常に的を射ていて思いやりにも満ちていて、どんなときにも優しい人だった」とは、9月3日、敗血症による多臓器不全のため亡くなったピーコさんに生前お世話になったタレントや業界関係者による共通の言葉である。 訃報を我々が知ったのは10月20日の夜。近しい方が明かした「四十九日」や「納骨」も済ませたという報せだった。 この2年程、弟のおすぎさんを含め、お二人には気になる報道が複数あり、連絡をとろうと試みた人は大勢いたようだが、直接話すことができないまま、その日を迎えた。私も同様であり、それが心から悔やまれる。 1980年、新卒で就いたTBSラジオのリポーター時代、「久米宏の土曜ワイドラジオTOKYO」でおすぎさんと週末の映画情報を担当していらしたピーコさんからは、仕事への向き合い方から大人の嗜みまで山ほど教えてもらったし、たくさんお叱りも受けた。 好き嫌いはハッキリしていらしたけれど、上下で人を判断することは決してなかった。自分より立場が上だからと言って媚びへつらうような姿も見たことがなく、そうしたピーコさんの言動のすべてが私の人生のトリセツになっていると言っても過言ではない。 同様に、テレビやラジオで共演したタレントやアナウンサー全員が「本当にかわいがっていただいた」と言うから驚きだ。いったいどれだけ多くの人々に愛情を注いでいらしたのだろうか。そしてそれは一般の方に対しても同様だったのである。 1989年、悪性黒色腫の診断を受けて左眼を摘出し、義眼を挿入してからは各地での講演の機会が増えたピーコさん。一度、近所の区民会館にいらっしゃるというので花束を持って駆け付け、檀上のピーコさんに渡したことがあった。「ちょっと上がって来なさいよ」と舞台で私のことを紹介してくださったり褒めてくださったりした後、「私、いつも花束のお裾分けっていうのをやってるんだけど、今日お誕生日の方、いらっしゃるかしら」と客席に目を向けたピーコさん。私には小声で、「ありがとね。でもこの後、地方での仕事だから持っていけないの。あげていいよね」と確認したうえで、お一人を選び、バースデーセレモニーを繰り広げた。 そんな気遣いの人だったから一般女性をぶった切る「辛口ファッションチェック」も局や番組を超えた長寿企画になったわけだ。ピーコさん、ありがとうございました。どうぞ安らかに。合掌。