「おすぎさんの後は誰も継ぐ人がいない」ピーコさん 墓参りしていた知人男性が明かした無念
「“欲がなくなって、お金もダイヤも毛皮も何もほしくなくなった”とよく言っていましたね」 そんなピーコさんが近年、仕事のモチベーションにしていたことが―。テレビ局関係者は言う。 「ピーコさんの訃報を受け、公私ともに親しかった桂南光さんが21日、関西ローカルのテレビ番組で生前の思い出を語りました。南光さんはかつてピーコさんに、“なぜ大阪のレギュラー番組を受けたのか”と聞いたら“好きな人が大阪にいて一緒にご飯を食べているから”と答えたそうなんです」 好きな人に会って癒されるため、仕事に励む。それがピーコさんの流儀だったようだ。“好きな人”について、かつてこう語っていた。 《私の場合、好きになる相手はいつも、ゲイの方ではなくて、女性を恋愛対象とするストレートの男性です。だから基本的に、結ばれることはないのね。だけど、こちらが本当に好きで、相手のことを一所懸命に考えてあげれば、嫌がる人はいないものですよ》(『婦人公論』’16年4月12日号) 菩提寺のお墓の後ろには、真新しい卒塔婆が1本だけ立っていた。日付は納骨日の10月19日。施主は「杉浦孝昭」、おすぎの本名だった。参列者が設置したのだろう。 ■「金曜の夕食はよくおすぎさんと3人で」 記者が菩提寺を取材していると一人でそのお墓に献花し、お線香をあげている50歳前後の男性が。 「旧知の彼のマネージャーと連絡を取って、初めてこの寺に来ました。彼女も喧嘩別れしたような感じだったのに、身元引受人が誰もいなかったとかで納骨されたようです」 墓の前で故人を思い出すかのように、長い時間動かなかった。聞くと、テレビ局関係者だという。 「晩年は、名古屋や大阪のテレビによく出演していたんです。名古屋ではおすぎさんともよく合流していて、金曜の夜には、決まったようにおすぎさんと私の3人で、食事に行ったり、その後は名古屋の駅ビルの上階のバーで彼はシャンパンをよく飲んでいましたね。 番組では、ぶっきらぼうな話し方をしますが、実に面倒見のいい人で、優しかったですよ。東京では、当時青山に事務所があって、近くのバーに行ったときには、ウイスキーを飲んでいたかな」 最後に会ったのは4年ほど前だったという。 「コロナ禍中もメールのやり取りはしていましたけれど、2年前くらいからは、音信不通でした。だから、どうしているのかなあと思っていましたが、突然でした。あとは弟のおすぎさんが、ここに入るのでしょうが、その後は、誰も継ぐ人がいないようですね。 時間がたった後に、自然に墓じまいになるのでしょうか……」 無念の表情だった。ピーコさんはお墓参りを大事にしていた。インタビューでもこう語っている。 《毎年お墓参りは欠かしません。年頭、命日、お彼岸、それに夏休みで時間がとれるときには必ず行ってますね》(『産経新聞』1998年8月11日付) 晩年は孤独だったと報じられたピーコさん。だが、“最愛の人”が墓を守ってくれるかもしれない。
「女性自身」2024年11月12日・11月19日合併号