「おすぎさんの後は誰も継ぐ人がいない」ピーコさん 墓参りしていた知人男性が明かした無念
「かつては毎年、信心深いピーコさんはこちらに墓参に訪れていましたよ。実家を継いでいたのでしょう」(菩提寺近くの生花店店員) 【写真あり】横須賀にある一家の菩提寺には、真新しい卒塔婆が立てられていた 10月19日、敗血症による多臓器不全のため亡くなったピーコさん(享年79)の納骨式が神奈川県横須賀市内にある菩提寺でとりおこなわれた。元マネージャーら数人が参列したが、そこに唯一の存命の身内、弟・おすぎ(79)の姿はなかった。2人の知人は言う。 「『おすぎとピーコ』として精力的に活動をしてきた2人でしたが、福岡に活動拠点を移したおすぎさんに’21年ごろから認知症の症状が出るようになりました。おすぎさんの独居生活が困難になり、2人の姉はすでに他界していたことから、ピーコさんは同年末、神奈川県内の自宅マンションにおすぎさんを呼び寄せ、同居するようになったそうです。 しかし、“老老介護”生活を始めて間もなくピーコさんにも認知症の症状が現れるように……。喧嘩が絶えず、3カ月もたたないうちに同居を解消したのです。おすぎさんは神奈川県内の介護施設に入所し、ピーコさんは再び一人暮らしとなりました」 スポーツ紙記者は言う。 「その後、一時は行方不明報道も出るなど、関係者らを心配させていたピーコさんでしたが、結局、昨夏、神奈川県内の介護施設に入所。本人の希望でおすぎさんとは別の施設でした」 横浜市出身のピーコさんは高校卒業後に横浜トヨペットに入社し、サンヨーレインコートに転職した。26歳でドラマ衣装の製作依頼を受けたのを機に芸能界へ。 「ワイドショー『3時にあいましょう』(TBS系)で始まった“ファッションチェック”は、ピーコさんの代名詞になりました。同性愛者であることを公言し、手厳しくも温かい特有のおネエ口調で親しまれました。そんなピーコさんの人生を大きく変えたのは’89年、44歳のとき診断された悪性黒色腫との闘病生活でした」(前出・スポーツ紙記者) 「30万人に1人」といわれる眼球内の発症だった。左目を摘出する手術を受け、抗がん剤の副作用による脱毛で命を絶つ選択肢も考えたというピーコさんだったが、思わぬサプライズが待っていた。かつてのインタビューで、当時をこう振り返っていた。 《義眼って1つ作るのに30万円くらいかかる。おまけに最初のうちは年に20個くらい付け替える必要があるから大きな出費だった。そしたら永六輔さんや黒柳徹子さんたちが私に義眼をプレゼントする会を結成してくださったの。1口1万円で300人の方が寄付してくれたのよ。 その会の中に私が嫌っていた人の名前を見つけた時に、いかに自分が多くの人に支えられて生きてきたのかを思い知らされた。そこから他人に優しい性格になれたの。闘病は人を変えるのね》(『週刊ポスト』’17年2月24日号) 片目を失ったことで、むしろ視野が広くなったと語っていたピーコさん。人生観も大きく変化したようだ。前出の知人は言う。