<ルポルタージュ>HIVと共に生まれる‐ウガンダのエイズ孤児たち‐
「さあ、いつまでも寝ていないで畑に出るよ!」 おばあさんの掛け声と共に太陽が土色の壁を照らし始め、小さな小屋で身を寄せ合って眠っていた子どもたちが眠い目をこすって起き始める。じりじりと照りつける太陽の下を歩き回る1日がまた始まろうとしていた。ウガンダ南部に位置するラカイ県。タンザニアに隣接するこの地方では、トウモロコシやパイナップル畑が斜面を埋め、青々とした山が連なる静かな村が広がっている。一見のどかなこの地は、アフリカの中で初めてエイズ患者が見つかった場所でもある。ジャセンダさん(69)の家族は、娘息子4人をエイズで亡くし、孫8人を彼女1人が面倒を見ていた。2人の孫は母子感染でHIVに感染しているが、小作農のジャセンダさんには医療費、数十キロ離れた病院までの交通費を工面することはできない。
ウガンダ共和国は日本の本州ほどの大きさの国土に約3000万人が暮らす東アフリカの内陸に位置する国だ。この国では1982年にエイズ患者が発見されて以来、政治情勢の混乱も重なり爆発的に国内で広がりを見せた。1986年に就任したムセベニ大統領によって国を挙げての取り組みが始まり、結果1992年のHIV感染率が18%であったのに対し、2004年以降は5%台にまで減少した。けれども近年、再び感染率は上昇し、6%を上回るようになった。対策が行き届いていない現状が露呈してきている。中でも深刻なのがエイズで親を失ったエイズ孤児問題だ。国連の統計によると、片親もしくは両親を失ったウガンダ国内のエイズ孤児の数は120万人、孤児全体の実に半数近くになる。 ラカイ県では祖父母や親戚が多くの子どもたちの面倒を見なければならない家庭は決して珍しくなく、両親を亡くした子どもたちだけで暮らさざるを得ない家庭、さらには子どもたち自身が母子感染によってエイズウィルスに苦しめられている場合もある。しかし彼らの苦しみは、医療の届かない郊外の問題だけではない。