「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(6)~ストーリーにこだわる文化と年月日にこだわる文化~ 西洋と東洋の比較編
4月1日、新たな元号「令和」が発表されました。元号は、日本だけでしか使われていない時代区分ではありますが、新聞やテレビなどで平成を振り返るさまざまな企画が行われるなど、一つの大きな区切りと捉える人が多いようです。その一方で、元号に対して否定的で「西暦に統一したほうがいい」という意見も少なからず聞こえてきます。 そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょう。元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」では、「年を数える」という人間特有の知的行為について、新しい見方を提示していきます。
西洋と東洋の歴史文化の違い
ストーリーにこだわる西洋と年月日にこだわる東洋。この歴史文化の違いを欧米人の歴史家に説明するのは難しい。30年来のドイツ人の友人であるエッセン高等研究所のユルン・リューゼン教授は、私の歴史理論の最もよき理解者であるが、この東アジアの歴史文化の伝統の特質について、“non-narrative narrative“(叙述によらない叙述)という表現を使って、私の解釈を受け入れてくれるようになった。 彼のこの表現は文化受容に関してとても重要なことを私たちに示してくれている。つまり、人は、自分の伝統文化の土壌を受容基盤とし、別の伝統文化の要素をその基盤の上に配置することによってのみ、外来文化は理解可能となるのだ、ということである。 現代ドイツを代表する歴史哲学者であるリューゼン教授の考案したこの表現を、私はとても気に入っており、欧米の大学での講義や国際学会での講演のタイトルに使用している。
歴史教育の背後には歴史文化がある
これと同じ現象は、歴史教育においても顕著にあらわれている。私は10年にわたってケンブリッジ大学の故マーチン・ブース博士と、日本と英国における歴史教育の違いについて両国の学校現場を相互訪問し、その比較研究調査を行ってきた。 英国の学校の歴史授業を見学に行くと、歴史教科書はなく、プリント数枚を生徒に配布した後で、先生が説明を加え、それから討論が始まる。数時間を討論に費やした後、レポートを作成し提出となる。 それに対して日本の学校の歴史の授業を見学に行くと、歴史教科書と歴史年表・歴史地図、それにノートが机の上に広げられ、先生が説明を加えてゆく。新しい知識を獲得し暗記することが歴史教育では重要だからである。 この知識獲得型歴史教育は、日本に限らず中国でも韓国でも同じである。なぜ東アジアではこのように共通の歴史教育スタイルが現在でも展開されているのだろうか。 私の考えはこうだ。全ての文化は、不動で基軸になる要素と、可動で変化を受け入れる要素のふたつからなる。この不動となる要素を、多くの文化では宗教においてきた。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教における唯一絶対神を信仰する啓示宗教(アブラハムの宗教)文化がその典型である。そこでの基軸は正確な年月日ではなく、揺るぎない信仰のもととなる聖典である。 それに対して唯一絶対神という存在を作り上げなかった東アジア文化は、歴史を、不動で基軸になる要素として取り扱ってきた。その典型的な形式が正史といわれる歴史叙述の存在である。これらの歴史では、書き換えを拒否し、過去を確定させることによって、それを文化の軸にしてきた。 そのためには、正確な年月日を記した「揺るぎない事実の確定」が必要となる。そして、この規範としての歴史が、東アジア文化の基軸を形成してきたといえる。 人間の記憶ほど曖昧なものはない。特に年月日や出来事の生起順に関しては、極めていい加減である。私は、歴史年表や年代記は人間の記憶の不備を補う人類史上最大の発明だと考えている。 例えば、司馬光(1019~1086)の『資治通鑑』(1084)は、春秋から五代に至る迄の史料を可能な限り集め、それを全294巻の編年体に纏めたものである。 この年月日を基軸にした歴史叙述及び歴史理解の方法は、現在の日本では、学校歴史で使用する歴史年表として生きている。私は英独仏の学校教育現場における歴史の授業を数多く参観してきたが、それらの国では歴史年表は一切使用していなかった。 歴史家や歴史教師に、なぜ歴史年表を使用しないのかと尋ねると、それは素人の歴史好事家が使用するもので、学校歴史では使用しないと言下に否定されたものである。