医療用の吸血ヒル、ドレスの柄になるほど大人気だった19世紀欧州の「万能薬」の末路
ヒルは乱獲などで絶滅の危機に、実は現代医学でもいまだに使われている
市場を混乱させるほど一時的に大流行したものといえば、オランダのチューリップや不動産が思い浮かぶだろう。19世紀においては、ヨーロッパの医療用ヒル(Hirudo medicinalis、イヨウ(医用)ビル)の需要が、このヒルを絶滅寸前まで追い込むほど高まっていた。万能薬としてその医療効果がヨーロッパ中で宣伝され、がんから結核、精神疾患まであらゆる病気の治療に使われた。 ギャラリー:「医用ビル」の写真ほか、19世紀の欧州を熱狂させた“万能薬” 画像6点 誰もが欲しがった医用ビルは、焦げ茶色あるいは黒色で、背中には黄色、緑、または赤の細い縞模様があり、優しい手触りでありながら、重要なことに食欲(吸血欲)が旺盛であるため人気があった。 当時の医師は、患者の病気を治療するために何十匹ものヒルを処方することがよくあった。例えば、肺炎だと疑われる患者には、1回の治療で最大80匹のヒルを胸にあてがった。胃炎の治療では、最大で20~40匹ものヒルが処方されることもあった。その結果、野生の医療用ヒルはヨーロッパ全域でだんだん希少になっていった。
ヒル人気を高めたフランスの医師
この吸血ヒルに救いを求めたのは、英国ビクトリア朝時代のヨーロッパ人が初めてではない。ヒルは古代エジプト人によって薬用として使用され、その後、インド、ギリシャ、ローマでも使われた。ギリシャの医師たちは通常、ヒルを瀉血(しゃけつ)に用いて、体液のバランスを取り、痛風、発熱、難聴などさまざまな症状に対処していた。 19世紀にヒルの使用が新たな高みに達したのは、主にフランス、パリの病院バル・ド・グラスの医師長フランソワ・ジョゼフ・ビクトール・ブルセの影響が大きい。ブルセは、天然痘からがんに至るまで、すべての病気は炎症の結果であり、血を出すことこそが治療法であると主張した。ヒルを使った出血療法は、比較的安全で専門的な技術を必要としなかったため、一般的になった。 ブルセ自身も、数十匹のヒルを使って自分の消化不良の症状を治療した。また、彼はヒルによる治療が動物の健康にも良い影響を与えると信じていた。週に一度ヒルを用いて闘鶏に出血させたが、その結果、体力が弱まった闘鶏は戦いの成績が落ちた。 ヒルへの需要が高まり、1830~1836年の間にブルセの病院だけで200万匹以上のヒルが使われ、時には診断前の新たな患者に対して大量のヒルが用いられることもあった。フランスの他の病院でも、ヒルによる治療の人気がピークに達した時期には、ヒルが大量に使われたことが記録されている。1820~1850年の間に、年間で5000~6万匹のヒルを使用していた病院もいくつかあることが、米サウスカロライナ州にある医療用ヒル博物館の創設者ロイ・ソーヤー氏の研究によってわかっている。