『ホールドオーバーズ』アレクサンダー・ペイン監督が明かす、日本の巨匠・黒澤明から教わった映画作りのモットー
現在のハリウッドで、味わい深いヒューマンドラマを撮らせたら、最高の監督は誰か?を訊ねると、彼の名前を挙げる人が多いだろう。アレクサンダー・ペインだ。『サイドウェイ』(04)や『ファミリー・ツリー』(11)など監督作は常に熱い支持を集め、アカデミー賞でも“常連”になっていたペイン。最新作の『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』(公開中)も、今年のアカデミー賞で作品賞など5部門にノミネートされ、助演女優賞を獲得し、その実力を証明した。ペインの最高傑作と称賛する声も多く聞く。 【写真を見る】無愛想な嫌われ者と思われる教師が、優しさを込めて準備したクリスマスサプライズは? 1970年、ボストン近郊にある全寮制の名門校で、クリスマス休暇に学校に居残ることになった、教師、生徒、寮の料理長の3人の物語。それぞれ複雑な事情や想いを抱えた彼らが、時に反発し合い、時に寄り添いながら、その関係を変化させていく姿に、ペイン監督らしい語り口の美しさ、俳優たちの名演技が重なって、珠玉の感動が訪れる。完璧ともいえるキャストとの関係、人間ドラマを作るモットーなど、アレクサンダー・ペインに質問を投げかけた。 ■「監督の仕事はシェフに似ていて、最高の素材を編集作業でどう料理するかの腕が問われる」 自身が2度のアカデミー賞脚色賞を受賞していることから、脚本の名手としても知られるペイン。しかし今回の『ホールドオーバーズ』は、脚本をデヴィッド・ヘミングソンに一任している。それだけ彼への信頼が絶大だったようだ。 「デヴィッドが当初テレビドラマのパイロット版として書いた脚本を読むチャンスがありました。そこで彼に連絡したところ、フランスのマルセル・パニョル監督による1935年の映画『Merlusse』と設定が似ている話ということで盛り上がったんです。私も以前から同作が大好きで、あの物語をアメリカの男子校の設定に移したデヴィッドのアイデアに感心し、今回は自分で脚本を書くのではなく、彼に任せることにしました」。 居残り組の1人で、主人公の教師ポール・ハナムは、学内で同僚や生徒から嫌われている存在。ちょっと嫌味な感じも表現する高難度の役に、ペイン監督はポール・ジアマッティを起用した。『サイドウェイ』以来、20年ぶりのタッグだが、その間も2人は新作を模索していたという。 「『サイドウェイ』のあと、私たちはずっとなにか一緒にできないか話し合っていました。実は前作の『ダウンサイズ』はポールを念頭に脚本を書いたのですが、結果マット・デイモンに任せることになったんです。今回の『ホールドオーバーズ』は、デヴィッドと企画を立ち上げた段階で『これはポールの役だ』とはっきり認識できたので、彼へのオファーは自然な流れでした」。 そのジアマッティはまさにハマリ役で、アカデミー賞主演男優賞にノミネート。そして彼以上に絶賛を集めたのが、料理長メアリー役のダヴァイン・ジョイ・ランドルフだ。教師のポールと生徒のアンガスに余裕の対応を示しながら、心には深い傷を抱えた役であり、ペインのキャスティングの“眼力”が光る。 「ダヴァインは、エディ・マーフィと共演した『ルディ・レイ・ムーア』を観て、いつか会ってみたいと思っていました。実際に会った彼女はメアリー役にふさわしいと感じたのですが、当時はまさかオスカーに到達するとまでは考えていませんでしたね。監督の仕事はシェフに似ていて、最高の素材を編集作業でどう料理するかの腕が問われます。だからダヴァインの才能をどこまで活かせるか、当初は不安もあったのが正直なところです」。 そしてもう1人のメインキャスト、ドミニク・セッサは、本作が初の映画出演。反抗的な学生アンガスの心情が変わっていくプロセスは本作の肝だが、期待に見事に応えたセッサを、ペインは“発掘”したわけだ。セッサは撮影が行われた高校の生徒で、演劇部に所属していたという。 「ドミニクを見つけたのは撮影開始の4~5週間前。ギリギリのタイミングでした。すでに800人の候補者を検討しており、私はそのうち100人とは実際に会ったのですが、ようやく観客が感情移入できる“顔”を発見したのです。心に傷を抱えた顔。しかも誰かが救えるような顔。それを満たしていたのがドミニクでした。その後、ポールと私、ドミニクはZoomで本読みをしたところ、ポールとドミニクの相性を実感しました。経験の少ない新人でも、ベテラン俳優に対して大胆な演技ができると、ドミニクは確信を与えてくれたのです」。 ■「スタッフやキャストには70年代初頭の映画を観てもらって、その空気感を身体に染み込ませてもらった」 上質な脚本と演技に加え、『ホールドオーバーズ』のもう一つの魅力が、1970年代という時代の再現。セットや美術はもちろん、映画のムード自体にどこか70年代っぽさが意識されている。そこにはペインのこだわりもあったようだ。 「私は難しいゲームにチャレンジしたのです。それは、現在から70年代を振り返るのではなく、実際に私たちが70年代にいると思って映画を作ったらどうなるか…というゲーム。時代を遡った映画の多くは、美術や衣装がちょっとカートゥーン(漫画)的になりがち。私はそのあたりを70年代の“平凡”なデザインにして、リアリティを追求しました。撮影や美術、衣装のスタッフやキャストには、70年代初頭の映画を観てもらって、その空気感を身体に染み込ませてもらいました。特に当時の映画を知らない若いドミニクには、70年代映画の“キャラクター主導”の質感を知ってほしかったんです」。 『卒業』(67)、『ハロルドとモード 少年は虹を渡る』(71)、『コールガール』(71)、『さらば冬のかもめ』(73)、『ペーパー・ムーン』(73)を観たことによって、本作のスタッフ&キャストは1970年代を体現することに成功した。さらにペインは映画作りにおいて大切なモットーに、本作で忠実になれたという。それは、日本の巨匠が語った言葉から得たものだ。 「映画で最も大切なのが“楽しませること”と“理解されやすいこと”。そのうえで好きな表現をするべきというモットーを、私は“センセイ(日本語で)”、いや“センセイ”では物足りない“テンノウ”から教えられました。黒澤明監督です。私は20代から30代にかけて、アメリカ、イタリア、日本のクラシック映画をたくさん観て学びました。なかでも日本映画は1930年代から1980年代まで、宝物を次々と発見しました。黒澤作品は20代にすべて鑑賞し、1986年にロサンゼルスで彼の講演を聞けた思い出は忘れがたいです。ちょうど1週間前に、大好きな作品『赤ひげ』のフィルム上映を観に行ったところなんです」。 アレクサンダー・ペインも現在、世界の映画監督が目標とする存在になった。ヒューマンドラマの名手という点では黒澤明にも並ぶ才能だと感じるが、これだけの傑作を放ち続ける“秘密”はなんなのだろう。 「特に秘密はありませんよ(笑)。私はオールド・ファッションの古典作品が好きで、そのスタイルを踏襲しているからかもしれません。監督自身が“私に注目して”とアピールするスタンスではなく、“この物語を観て”“こんな人々を観て”という作品が理想であり、今後も私はそこを徹底していくだけです」。 巨匠ながら、このペインの奥ゆかしさこそが、『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』のような珠玉作を生む“秘密”なのかもしれない。 取材・文/斉藤博昭