「話を聞く」ということ
「ほんとうに、聞きなさい」
『コミュニケーション100の法則』という本があります(※)。弊社のファウンダーである伊藤守が1994年に書いた本です。そこにはこんな言葉が並びます。 あなたの中に、相手を操作したいという気持ちはなかっただろうか。 たとえ、それが善意からのものであったとしても。 最後まで聞きなさい。 ひょっとしたら、あなたに都合の悪いこと、あなたが自分のやり方を変えざるを得ないようなことを話し出すかもしれませんが。 もっと話させなさい。 それが、あなたの100万の励ましの言葉より、相手を勇気づけます。 Aさんと一緒にこの本を間において話すうちに、自然とこんな問いが浮かんできました。 「私たちは、本当に相手の話を聞きたいと思っているのだろうか?」 自分の理想通りに、部下に動いてほしい、仕事を進めたい。 自分にとって「馴染みのある」「わかる」文脈のなかで話を進めたい。 結局、自分たちが聞きたいようにしか相手の話を聞いていなかったことや、「本当に聞きたい」と思う瞬間だけしか、相手の話を聞いていなかったことなどがわかってきました。 最終的に私たちは二人とも、「もしかしたら本当は、相手が成長するかどうかに、興味なんてなかったのかもしれない」というところまで行きつきました。丸裸になったのは、自分勝手な私たちの姿です。 一通り話した後、Aさんが言いました。 「後進を育てようとか、彼らの自主性を育みたいとか、全部が私自身の話ですね。私はこれまで、【相手が私の意見にそったことを言っているかどうか】を聞いていたのかもしれません。そうではなくて、彼らの見ている世界そのままを、僕は聞かなきゃいけないんでしょうね」
相手の見ている世界をそのまま聞く
Aさんのこの言葉を聞いて、私は妹のことを思い出しました。 先輩コーチに何度も「石川さんは話を聞いてないよね」と言われていた当時、『コミュニケーション100の法則』を手に取りました。その本を読んだ後で、久々に妹に会った日のことです。二人でお茶を飲んでいるときに、ふと「今日の妹から見えている世界」をそのままのぞいてみたいと思ったのです。 今日の妹は、どんなことを考えているのかな、何を感じているのかな。気になっていることは何だろう...。そんなことを考えながらじっと聞いていると、突然、妹が目の前で泣き出したのです。 「どうしたの!?」 と焦って尋ねると、妹は言いました。 「お姉ちゃんが、こんなに話を聞いてくれたことはない」 絶句しました。妹と私は良好な関係でコミュニケーションも頻繁でした。これまでも妹の話を聞く機会は何度もあり、そのたびに自分は彼女の話を聞いていたつもりでした。でも、振り返ってみれば、私と彼女の間で交わされていたのは単なる情報のやりとりに過ぎず、「妹の世界」を知りに行こうとしたのは初めてのことだったのかもしれません。 妹についても、また、私の「聞く」ということに対する捉え方についても、新しい扉が開いた感覚でした。そのとき、私は初めて「本当に聞いていた」のだと思います。 その数年後、私の結婚式で妹が手紙をくれました。 「あの日、お姉ちゃんが話を聞いてくれてから、私はすごく尊重されているなと感じるよ」 と書いてありました。 彼女が私をコーチにしてくれたのだと、今振り返って思います。