暴走族と警察の衝突から24年 かつての特攻隊長はプロレスラー
今から24年前の1999年。祭りの会場は事件現場になっていた。広島三大祭りの一つである「えびす講」で暴走族と広島県警機動隊が激しく衝突したのだ。 実父から性虐待訴訟は40代女性の訴え届かず 広島高裁が控訴棄却 「こんな日本でいいんですか?」 その現場に当事者としていたのが、宮本裕向(ゆうこう)さん(41)。 「(現場に)来るたびに思い出します。ここに円陣を組んで溜まっていたっていうのが」。 宮本さんは当時、暴走族の特攻隊長として衝突の最前線にいた。
■ペットを父親に食べられ非行の道へ
宮本さんは現在、日本のみならず世界を飛び回る現役のプロレスラー。レスラ―として活躍していても「もうすごい…自分は何をやっていたんだろうなっていうのが…」と、衝突事件の記憶は忘れられない。 えびす講は1603年から始まったとされる。実に400年以上の歴史を持つ祭りだ。 しかし、広島で暴走族が走り回っていた1990年代、えびす講は「卒団式」の場と位置付けられるようになった。 少年時代の宮本さんは、地域のボランティア活動に参加するような子どもだったという。母親の千鶴子さんも「中学生までは真面目でした」と、当時を振り返った。 しかし、中学生のとき、飼っていたカモを巡る家庭内での“あること”がきっかけで、非行の道へと足を踏み入れてしまう。 「中学生になって部活が忙しくなって、カモの世話ができなくなったときに、親父から『もう世話せんのなら食うで』って言われて、『じゃあ、食ってみいや』みたいな感じで言ったら本当に食いやがって」。 約3年間ペットとして育ててきたカモを失い、宮本さんの心にぽっかりと大きな穴があいた。「人の一生懸命に飼っていた気持ちは何だったんだろう」と、人間不信にもなった。 それからは、気の合う仲間たちと毎週のように集まる日々。気が付けば、暴走族チーム30人を束ねる特攻隊長となっていた。
■機動隊を相手に為す術なく捕まり…母親の迎えが大きな転機に
事件当日の午後5時ごろ、宮本さんが約30人の仲間と一緒に路面電車で街へと繰り出した。祭りの会場はすでに多くの人でごった返していて、機動隊と暴走族で長い列ができていた。すると、「検挙~!」という声とともに機動隊が押し寄せてきた。その波にのまれた人が逮捕されていったという。 宮本さんは衝突を見るやいなや、「特攻隊長だから先陣を切らないと」と、すぐさま加わった。最前線では違うユニホームの暴走族や警察が入り乱れていたという。 「機動隊は盾を持っているんです。蹴りに行くとその瞬間に盾を上げられて全然ダメージを与えられませんでした。なんていうか、社会に対する不満とかがあったのかもしれませんけど、暴走族のみんなはそれが警察に向いたんですよね」。 全国ニュースとしても大きく取り上げられたこの事件は、3日間で45人の逮捕者を出す事態となった。 宮本さんも、鍛え抜かれた機動隊を前に為す術なくその場で捕まった。その後、母の千鶴子さんが警察署まで引き取りに来てくれることに。これが大きな転機となった。 「母親が警察署に入るなり、警察官1人ずつに『すみませんでした。うちの子がすみませんでした。』って謝っていたんです。その姿を見て『あ、なんか違うな』と思いました。自分はこんなことをさせるためにこんなことをしていたんじゃないと」。 千鶴子さんも当時をこう振り返った。 「夫から私に電話があって、警察署まで迎えに行ってくれって言われて頭が真っ白になりました。(警察署では)ただただ謝りました。迷惑をかけているんでね」。 この暴動事件をきっかけに高校を退学になった宮本さん。友人から届いた手紙は今でも忘れられないものだった。 「一緒に楽しむはずのクラスマッチに宮本君がいない」 「いっぱい応援してくれるはずの人がいない。さみしいです」 手紙を読んで、家で号泣した。 母の涙と友人からの手紙。周りで支えてくれていた仲間たちの大切さに改めて気づき、暴走族をやめることを決めた。