「全体を見れていない俺っていうのも…」鈴木康博オフコース脱退とうらはらだった小田和正の“マイペースさ”
音楽の作り方の違い
すべて、現在から振り返っての証言だ。ただ伝わってくるのは、オフコースが認知され大きくなっていくなかで、生真面目で不器用な性格ゆえか、袋小路に入り込み、壁にぶつかったような印象も受ける。鈴木自身が70を過ぎて、「もっと鈍感だったら良かったのになという思いもあります」と語っている。 さらに清水は、音楽の作り方において、小田と鈴木の違いも大きかったのかもしれないと語る。 「小田さんの場合は、自分のなかに自分の骨格があったとしても、プリプロといいますが、コード進行しか書いてなくて、どんなメロディなの? と大間が訊くと、小田さんは『いいんだよ、そんなのは』と言って一切聞かせないで、何にもないところからやり始めるんですよ。みんなと演奏しながら、ここは2小節増やそう、ここはカットしようとか、テンポを早めようとか、そうやって気がつくと、みんなで作っているんですよね。 それに対して、ヤスさんは8割くらい自分で作ってくるんです。そうじゃない曲もありますけど、ほぼ作ってくる。だから、それに対して、俺らがなんか言うと、やはり当人は気分悪いですよね。変えられない。だから、その楽曲が膨らまないんです。結果、楽曲のパワーが全然違ってくる。みんなでやりながらまとめていった曲とみんながいじれない曲。そういうなかで、ヤスさんの居場所がどんどんなくなっていくということもあったのではないかと、あとからは思いました」 もっと日常的なことでいえば、既婚者の鈴木と残りの4人で、いつしか仕事が終わったあとの行動にも違いが出てきていた。昼の休憩時にも、みんなでお茶に行こうと誘っても、鈴木は「俺はギターの練習をしてるよ」と1人残ることも多かった。
「小田には感謝の気持ちがない」
少しずつ、少しずつ、歯車が狂い出していた。足下の地盤が少しずつ、少しずつ、崩れ始めていた。しかし小田は気づいていなかった。マイペースな人特有の、あるいは自身が自己顕示欲が薄い人だからなのか、小田には人の屈折した心理に気がつかないところがあるのかもしれない。 このころを考える時、思い出す逸話がある。 それは小田の学生時代、毎回、コンサートを手伝ってくれていた高校の仲間たちの一部から「小田には感謝の気持ちがない」と責められたという話である。この時、小田はまさに青天の霹靂だったようで、こんな風に話している。 「みんな充実感をもって楽しくやっていると思っていたんだ。ステージに立って歌う係とサポートしてチケットを売る係の、役割の違いだけだと思っていたんだ。だから感謝の気持ちって言われて本当に驚いた。みんな楽しくやっていたじゃないかと。ヤスと地主は言われないわけよ。彼らには感謝の言葉とかがあったのかなあ。この時、あ、違ったんだと思ったんだ。全体を見れていない俺っていうのもあったんだろうね。突然の一揆みたいな感じで、すげぇショックだった」 状況は全く違うが、鈴木に「『さよなら』は小田が書いた曲で、俺のヒットじゃない」と言われた時も、「えっ、『さよなら』はオフコースのヒットだろ」と思った自分がいたようなのだ。俺が、俺が、という意識が希薄な小田らしいエピソードとも言えるのだが、それでは済まないこともあるということだろう。
追分日出子