元宝塚・光月るう、千海華蘭「あの経験がなければ」「上田久美子先生のダメ出しで」……在団時の“ターニングポイント”とは
■上田久美子先生からの「ダメ出し」
――お二人とも宝塚には20年ほど在団されています。その中でターニングポイントとなった作品は何でしょうか。 (光月さん):自分自身の中の考え方が変化したのは『夢の浮橋』の新人公演です。7年目までの下級生たちで一回だけ(本公演と)違う役をさせていただく新人公演という機会があるのですが、その新人公演がターニングポイントだったのかなと思います。 ――源氏物語の中の宇治十帖を取り上げた作品で、本役は霧矢大夢さんが演じた薫という役でした。 (光月さん):薫という役にすごく惹かれた部分があります。葛藤の中で感情を動かすところ、その部分が自分の中で開花したところだったなと。感情的に表立って出すものではなく『秘める』と言いますか、そこが自分にとって心地がいい感覚になりました。 薫役は霧矢さんが2番手さんとしてやられていた役でとても大きな役。1人で歌って紅葉をバックに登場するという。なんせ初めてだったので、トップさん、2番手さんのような大役をされている方たちは毎回しているんだなと。それを経験して、私はこのプレッシャーを1人で背負っていくことが、自分に合ってないんじゃないかと思いました。 一度は真ん中に立ちたいと思って夢を抱いてみんなこの世界に飛び込む。今までは、少しでも真ん中に近づいていきたいと一生懸命そこに向かっていたんですけど、自分が行きたい場所はもしかしたらそこじゃないのかもしれないと気付いた時でもありました。 将来の自分の可能性を信じている中で、注目されていく役、みんなの中で真ん中に立っていく役に向かっていたはずなんですが、そこで開花する人じゃないのかもしれないなと、その時に思ったんですよね。あれを経験できていなかったら、もしかしたら今の私がいないのではと思います。 ――千海さんはどういった作品がターニングポイントになりましたか?
(千海さん):私は卒業間際の『桜嵐記』が心に残っています。演出の上田久美子先生と『月雲の皇子』という作品でご一緒して、それから時を経て自分がどう成長できているのかを自分自身も楽しみにしながら、また先生にも成長した姿を見ていただけるようにと意気込んで作品に取りかかったんです。けれどなかなか役を表現することができなくて、先生からもなかなか役へのOKが出ない。あがいて、もがいて最後に到達した、自分の中で芽生えたような作品でした。 自分の進むべき道や目標、やっていきたいことも、ジンベエという役を通して見えてきたものがたくさんあって、今の私を語るにはなくてはならない作品かなと思いますね。 ――ジンベエは主人公の楠木正行に仕えた人物。このジンベエが正行に駆け寄っているシーンで私たち(観客)の思いを語っているかのような役でした。 私も観ているお客様の代弁者の役割があると思っていました。お腹の底から湧き出たものでしか、正行の生涯、珠城りょうの卒業公演に合わせた世界観を表現できない。(上田久美子)先生が毎日、毎日、ダメを出してくださって、その中で自分のお腹の底の感情に向き合えたかなという思いがありますね。 ――ダメ出しはどういったもの? 具体的に「こうしてください」「ああしてください」ということはなく、「どうしてできないんですか」と問いかけですね。「なんでできないんですか」と。私もそれがなぜかわからなくて。多分先生は本当のリアルな感情を使えているかどうかを毎回見てジャッジして、私に問いかけてくださっているんじゃないかと思って、そこを超えていくにはどうしたらいいのかを日々、毎秒考えていました。 でも、ある時からぱたりとダメがなくなりまして。不安に思って先生に「大丈夫ですか」とお聞きしに行っても「いや別にないです」とおっしゃっていて。先生はストイックに場面作り、役作りについて導いてくださる先生で、気になったことを言わないということはない。そのときにジンベエという役と、役へのアプローチについて自分なりの正解が見つかった。課題を超えられたのかなと思いました。