【「ヴェノム ザ・ラストダンス」評論】<ロード・ムービー>のような要素を持ったシリーズ最新作
【終幕について言及しておりますのでご注意ください】 トム・ハーディ演じる敏腕記者のエディ・ブロックを主人公にした「ヴェノム」(2018?24)シリーズが、マーベルコミックスを実写映画化した作品群の中でも、やや異色であるという理由がいくつか存在する。そのひとつが、単独作品になったという点。説明するまでもなく、マーベルコミックスのスーパーヒーローたちは、「アベンジャーズ」(2012)などのマーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)作品で競演。本来は独立した複数の作品が、同じ世界観の中でクロスオーバーしてゆく展開によって多くのファンを獲得していったという経緯がある。ヴェノムと同様にソニー・ピクチャーズが権利を持つスパイダーマンは、交渉の末MCUに参加しているが、ヴェノムは当初から独立した作品として企画が進んだと伝え聞く。MCUは作品数が膨れに膨れ上がり、もはや「一見さんお断り」のような赴きさえある中で、単独作品であることはMCUに疎い観客に対して興行の強みであると言える。 とはいえ、ヴェノムというキャラクターそのものは「スパイダーマン3」(2007)に登場しているし、厳密には「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」(2021)のミッドクレジットにエディの登場シーンが挿入されていたりもする。それゆえ、クロスオーバーの可能性を示唆させながらも、基本的には「ヴェノム」シリーズだけでストーリーを成立させた英断は特筆すべき点だろう。トム・ハーディにとっても、エディ=ヴェノム役に対して思い入れがあることは、彼が2作目以降で製作を兼ねているだけでなく、2作目では脚本を担当していることからも窺える。斯様な経緯のある「ヴェノム」だが、3作目となる「ヴェノム ザ・ラストダンス」は前作の“続きの物語”でありながら、さらに異色さが際立っているのである。劇中では「レインマン」(1988)や「テルマ&ルイーズ」(1991)といった作品名が登場するが、それらの過去作へ倣うかのように、今作は<ロード・ムービー>のジャンルに属するような要素を持った作品となっているのだ。 エディ・ブロックとヴェノムの関係には、アボット&コステロの凸凹コンビや、「珍道中」シリーズのビング・クロスビーとボブ・ホープのようなコンビのドタバタ感がある。特に「アラスカ珍道中」(1946)や「バリ島珍道中」(1952)などのシリーズ作は、ドロシー・ラムーアを伴った旅を描く<ロード・ムービー>だったという特徴があった。「ジキルとハイド」のような関係性にあるエディとヴェノムのやりとりには、往年のコメディ映画に通じるものを感じさせるのである。また、トム・ハーディがエディ役とヴェノム役をひとりで演じ分けている点も重要だ。それは、腹話術師エドガー・バーゲンが人形のチャーリー・マッカーシーを操って聴衆を沸かした、テレビ番組や映画のワンシーンを想起させるからでもある。今作はVFXやCG表現によって構築されているものではあるが、奇しくもトム・ハーディの即興演技を時に取り入れながら、ひとり二役であることによって腹話術のような軽妙さを導いているのだ。エディとヴェノムは旅路の果てに、残された者だけが約束の地へと辿り着く。彼の地の眩しいばかりの輝きと、ひとりになった寂寞感。それはまるで、<ロード・ムービー>である「真夜中のカーボーイ」(1969)の終幕のようではないか。 (松崎健夫)