Kホラーに現れた新たな才能。“睡眠”をめぐる夫婦の恐怖を描く『スリープ』ユ・ジェソン監督インタビュー
かつては『鳥肌』(01)や『4人の食卓』(03)、そして最近では『オクス駅お化け』(22)など、唯一無二の世界観を持つ作品を生み出し続けてきたコリアン・ホラー。俊英ユ・ジェソン監督のデビュー作『スリープ』(公開中)は、こうした王道ジャンルに連なりながらもさらに斬新で自由な作品で、韓国で興行・批評ともに大きな成功を収めた。 【写真を見る】“2人一緒なら何でも克服できる”という家訓を胸に、二人は不穏な出来事と闘おうとする このたび、ユ・ジェソン監督へのインタビューが叶い、先ごろ韓国で開催された百想芸術大賞で映画部門脚本賞を授賞したことへの祝意を伝えると、はにかみながら喜んでくれた。時折日本語を交えてくれるなど、気さくな人柄で取材は和やかに進むなか、興味深い撮影のビハインドエピソードから主演俳優への敬意、気になる次回作の構想までたっぷり語ってくれた。 ■最も無防備な時間に訪れる恐怖。監督が考える〝睡眠〟と〝結婚〟の共通点とは? 主人公は役者のヒョンス(イ・ソンギュン)と、出産を控えた会社員の妻スジン(チョン・ユミ)。幸福に暮らす2人だったが、就寝中にヒョンスか突然起き上かり「誰か入ってきた」と呟いた夜から生活が一変する。夫婦は睡眠クリニックを受診し、一方でスジンは母から巫女の御札を手渡される。ところが不穏な出来事は、徐々にエスカレートしていく。 『スリープ』は睡眠にまつわるホラーであると同時に、結婚も重要な要素として機能している。ちなみに制作当時、ユ・ジェソン監督はちょうど結婚間近だったそうだ。しかし「脚本を書いたときは、思いついたことをそのまま書いたんです」と、当初からテーマを設定していたわけではなかったことを明かす。 「でも思えば、睡眠と結婚の本質はとてもよく似ていますよね。眠っている時というのは誰しも完全に無意識ですし、“明日には必ず目が覚めるだろう” “隣りにいるこの人が守ってくれるだろう”という、なにかを無防備に信仰しているような状態だと思うんですね。この映画はそうした“信仰”をひっくり返して、最も信頼できる人のそばで、最も無防備でいる時間を、最も恐ろしい時間に変えています。結婚も同じではないでしょうか。いまの時代、“人を信用してはいけない”とよく言われたりすると思うんですが、そんななかでも、結婚や夫婦というものは“お互いが相手を誰よりも信頼し、最も無防備な状態から守ってくれる”と信じることですよね。自分が一番信頼している人が、実は一番危険で脅威的な存在なのかもしれない…そう思うと、睡眠と結婚の間になにか関係があるのではないかと考えたんです」。 眠ることも結婚も、互いの信頼関係があるからこそ成立する人間の営みだ。映画で起こる恐怖は、もしかすると私たちの生活にも忍び寄るかもしれない。そんなふうに思わせるからこそ、鑑賞後の余韻は既存のホラー映画とは一味違う深いものとなっている。 ■主演俳優も目を見張る完成度の高いプロダクションデザイン こうしてユニークかつ地に足のついたテーマを映画の核に置いたが、室内劇という舞台設定が難関だった。「室内はかなり限られた場所ですし、中でもリビングというのはとても単調な場所なので、撮影監督や美術監督と一緒に大きな挑戦をしました」と言うように、ユ・ジェソン監督はプロダクションデザインとストーリーの見せ方の両方に工夫をほどこした。 「10分くらいで観客の皆さんが飽きてしまうんじゃないかと心配だったので、まず第1章、第2章、第3章に分かれた1時間半のドラマにしました。スジンとヒョンスの関係を3つのフェーズに分けることで、2人の関係の劇的な変化を感じられるのではないかと思ったんです」。 そして章が進むごとにリビングやキッチン、バスルームといった見慣れた生活空間が、刻々と恐怖の場所へと変化していく驚異的なプロダクションデザイン。「退屈させないように視覚的にカラフルで映画的な空間を作った」そうだが、その微細なディテールの変化に、チョン・ユミも舌を巻いたという。 「夫婦の住む空間は2人の関係性、特にスジンの心理を表現しています。第1章の場合、例えば撮影や照明で温かみのある色調を表現したり、小道具をたくさん置いて居心地の良い空間を作ったりして、妻と夫の愛を強調することを心がけました。そして第2章、第3章では彼女の心情変化に合わせて、刑務所のように閉塞的だったり、逆に派手にしたりするなど視覚的な多様性を持たせました」。 ■“奇妙”なシチュエーションで奮闘するキャラクター〟にポン・ジュノも太鼓判! 階下の住民からは身に覚えのない騒音の苦情を訴えられ、ヒョンスは眠りながらも血が出るまで頬を掻きむしり、生魚を丸呑みするなど奇行に走る。こんな恐ろしい現象が相次いでいる中、ホラーらしからぬコメディのようなシークエンスも訪れる。ブラックコメディとしての魅力もある『スリープ』だが、ユ・ジェソン監督本人は「短編映画を撮っていたときから、私の作品は映画祭に出品されるたびブラックコメディに分類されたりしていたんですが、意識的におもしろいシチュエーションを作ろうとしたり、ユーモアのためにセリフを書いたりしたことはないんです」と笑う。 「変なシチュエーションが好きなんですよ。平凡なキャラクターが奇妙な状況に置かれたらどう対処して、どうやって抜け出すのかということに興味があるんです。登場人物たちが、本当に馬鹿げていておもしろい状況に真剣に取り組んでいるとき、不条理でありながら笑いが生まれるんじゃないですかね」。 特に、終盤に用意されているあるシークエンスは、ユーモアと恐怖が絶妙に入り交じる忘れがたい場面だ。 「スジンは大企業の人事チーム長兼人事研修チーム長という設定なので、社員教育のためにパワーポイントでプレゼン資料を作ることに慣れている人物だと思います。そういう自分の武器を使えば、短い時間で説得力のある説明ができる。それが奇妙でありながらもリアリティのある状況を作ったんじゃないでしょうか」。 一方で、この奇抜すぎるシチュエーションには不安もあった。そこで背中を押したのは、巨匠ポン・ジュノ監督だ。実はユ・ジェソン監督、『オクジャ/okja』(17)の助監督としてポン・ジュノ監督と働いた経歴を持つ。 「パワーポイントって全然映画的じゃないんですよね(笑)。だから美術監督や撮影監督、俳優の方々と一緒に悩みましたが、仮編集の段階で、ポン・ジュノ監督に見せたんですよ。そしたら『このプレゼンのシーンが最高におもしろかった』って言ってくださったんです。よかった、これでいいんだと安心したのを覚えています」。 ■実現した“奇跡のキャスティング”。イ・ソンギュンとチョン・ユミは「演技スタイルの異なる天才俳優」 『スリープ』はアパートの一室で繰り広げられる、ミニマムだからこそ抑制の効いた魅力を持つホラーだ。キャストもそれほど多くなく、少数精鋭の名優を揃えた。とりわけ主演のイ・ソンギュンとチョン・ユミについて、ユ・ジェソン監督は「奇跡のキャスティングでした」と笑みを浮かべる。韓国映画ファンならご存じの通り、イ・ソンギュンとチョン・ユミにはホン・サンス監督の『教授とわたし、そして映画』(12)、『ソニはご機嫌ななめ』(14)で共演経験がある。その際、2人が「いつか商業映画でまた会おう」という約束を交わしたという話を、ユ・ジェソン監督はあとから聞かされたという。『スリープ』が図らずも2人に再会のチャンスを与えたのだ。 “奇跡のキャスティング”が叶ったユ・ジェソン監督はさらに、撮影現場で俳優として全く異なるスタイルで最高の演技を見せる2人に感動した。 「イ・ソンギュンさんの場合は、撮影現場に来た時点ですでにヒョンスというキャラクターとして完成されていました。毎朝、撮影現場に来て脚本を見ると、すごく緻密に研究されて書き込んだ跡があるんですよね。それで私のところへ来て、『ヒョンスはこういうセリフを言うんじゃないですかね』とか、『この時の感情は、妻を苛立たせるというより少し慰めようとしているんじゃないでしょうか』と、いろいろと提案をしてくるんです。監督である私よりも、イ・ソンギュンさんのほうがキャラクターをよく理解している感じでした」。 「チョン・ユミさんは撮影当日に来ると、『このシーンはどんなシーンですか?どういう意図ですか?全部教えてください』と質問してくるんです。もちろん、チョン・ユミさんもご自身でキャラクターを解釈されています。それでも、私が求めていたキャラクター像やディレクションを優先してくださいました。私が最初から最後までキャラクターの情報を入力すると、スーパーコンピューターみたいに、好きなように演じてくれるんです。イ・ソンギュンさんもチョン・ユミさんも、全く異なるセンスを持つ天才でしたね」。 『スリープ』に流れる、娯楽的なジャンルムービーでありながらもアーティスティックなムードは、これまで韓国映画を観ていなかった新しい観客に訴えかけるものがある。それもそのはず、ユ・ジェソン監督が『スリープ』への影響を与えた作品として挙げた作品が、スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』(80)やロマン・ポランスキー監督『ローズマリーの赤ちゃん』(69)、黒沢清監督『CURE』(97)など、映画史に残る傑作ホラーの数々だからだ。 「特に黒澤監督の『CURE』には、すごく影響を受けたんです。撮影中もポストプロダクション中も、“このシーンは『CURE』みたいな感じで…”とかずっと考えていました」。 多くの新人監督にとって、プレッシャーがかかるのが第2作目だと言われている。ユ・ジェソン監督は「すでにたくさんのアイディアがある」と目を輝かせる。 「一つは『スリープ』と似たようなミステリー・スリラーで、ちょっとスケールの大きい映画です。もう1つは、自分なりのロマンチック・コメディーの構想。観客として一番好きなのはロマンチック・コメディーなので、そういうジャンルの映画を作るのが夢なんですよね。でも実はいま、興味を持ってくれるプロダクションがなくて…みんなに『ミステリー・スリラーをやれ!』と言われるんです(苦笑)」。 取材・文/荒井 南